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ラジオでしゃべっている言葉がふと、
「輪廻とスコアボード」と聞こえた。
聞き違いだが、想像力をふくらませた。


わたしが何度も何度も聴いている
スピッツの「田舎の生活」という名曲には、
不意に「輪廻」という言葉が出てくる。



根野菜の泥を洗う君と
縁側に遊ぶ僕らの子と
うつらうつら柔らかな日差し
終わることのない輪廻の上




崩れるところに甘みが出る。
屋根が瓦が崩壊しつつある家屋を見て、そう思った。
傾きがそのまま創造となる。
あるいは未完でもいい。


「仕事をする時は、共に道を歩んでくれる愉快な仲間を集めよう」デヴィッド・リンチ

最近はどこかに行きたいという旅の欲求が希薄になった。
今、ここを深くダイブしたいという、そこに汲めども尽きせぬものを見た。




ジョウビタキ


庭にジョウビタキがあらわれた。
漢字では「常鶲」と書く。
腹部がレンガ色をし、翼に白斑がある。
昨年数ヶ月かけて、平出隆『鳥を探しに』(昨年読んだ本のベスト1)を読んで以来、
すっかり鳥に魅了されると、わたしの庭に幾種類もの鳥たちが
訪れることにきづいた。近くに大きな河川があるからだろう。
鳴き声もそれぞれで、愛おしい。

朝、さわやかに太陽が立ち上って、光もやさしかった。
韓氏意拳の站椿をひさしぶりにする。
ただ立っているだけだが、すがすがしい。
天と地のあいだにわたしがミディアムとなってひとつの柱になる。
朝の太陽を見ていたときに浮かんだ言葉は金剛と胎蔵だった。
ストロング金剛という固有名詞もついでに思い出してしまった。
昨年から曼荼羅がずっと気になっている。
杉浦康平の『マンダラ発光』を思わず買う。

鶴崎大神宮には宮司がいないようだ。
手水も管理が行き届いていないことがある。
わたしでも宮司になれるのだろうか。

正月はラジオ録音したピーター・バラカンの4時間半にわたるジャズ特集を
聴くともなく聴いている。わたしが時代遅れなのか、どれもジャズには聴こえないのがすごい。

ポケットにしまってあったモレスキンのノートごと洗濯してしまいばらばらに粉砕した。
何が書かれてあったのかもう思い出せない。
新しいモレスキン・ノートを買う。
そこには書かれてなかった言葉を継ぎ足す。


「人の体は水で満たされているのと同じだけ光で満たされている。」『未明の闘争』保坂和志

「更に諸尊ことごとく月輪(がちりん)と称する円光の中にいることに注目すべきであろう。これを以て思いを致せば、金剛界マンダラは夜の光景であるかもしれない。もしそうだとすると、胎蔵界マンダラは昼の光景であるかもしれない。すなわちまた、金胎両部マンダラは昼夜を分かつ全天の光景であるかもしれない。」『マンダラ紀行』森敦

「短かい時のあいだに我に返る。何か幸福というものらしきものが、あそこにある。今、はじめて分ったようにあそこにある。ほんとうはずっと前からああいう光線を見ていたものだった。しかしこのように新しい自然のように、幼児が外界を見るように初々しく発見した。発見は、何もトルストイやトルストイのえがく人物だけの専売特許ではない。ところが発見はかえって彼の事情を息苦しくさせる。彼は幼児のように発見したけれども、強壮なる二十七歳の男である。」『私の作家遍歴』小島信夫


A Happy New Year !



今の世の中のしくみは、飢えへの恐怖をあおって強制労働をさせるシステムである。フロム


わたしたちの生きる歓びを阻害しているのはなんだろうか?



やりたくもないことをやっていることは人を苦しめるだろう。
労働。
食うためにといって、人生の大半の時間をそれに費やし、
老いて、死んでいく。
そのほとんどが自分の本質からかけ離れている。
つまり生きる歓びからはほど遠い。
むろん、それを修行と解釈して磨き砂と受け入れることもできるだろう。
でもこの生き方、大昔からあったわけではない。
主が働き、給料を貰い、それで家族を養う。上司や社長の支配下にはいる。
言いたいことも我慢する。酒場で愚痴る。
社長は従業員とその家族を養うために大きなプレッシャーを背負い続ける。
倒産する。自殺するものもいるだろう。


最近はベーシック・インカムに関する著作を読んでいる。
みなさんはベーシック・インカムをご存じだろうか。
国がすべての国民に生活に必要な最低限のお金(8万〜10万)を給付するという構想である。
これが実現したらどう社会が変わっていくだろうか。
食うために自分の好きなことを諦める必要はなくなるし、
食うためにブラック企業に勤める必要もなくなる。
貧困による苦しさがなくなる。
なにより誰かの奴隷である必要がなくなる。
会社勤めは優しく扱ってくれる奴隷になること。
子どもが増えれば給付額も増える。
もちろん消費も増える。
これは夢物語ではない。
今スイスでは、このベーシック・インカム導入にあたっての国民投票が行われている。


ぱっと思いつく問題点は怠け者が増えるのでは?というのと財源はどうするの?
というところだろう。
月10万はぎりぎりの生活だ。もちろん遊ぶお金はない。
人は怠けるのにも多大なエネルギーを必要とする。
ニートは苦しい。
人は生活の心配がなくなった状態の方が、はるかに創造的に生きるものだ。
定年して年金暮らしをしていてもなおかつ引きこもらず精力的に動いている方々を
目の当たりにするとつくづくそう思う。

財源については、年金制度や生活保護、雇用保険を一律ベーシック・インカムに置き換えれば、
1円も増税することなく、日本国民全員に一律月4万6千円の給付が可能になると資産されている。


まあもちろん支配層、既得権益にしがみついている者たちは
あらゆる手段をつかって、この導入には反対するだろう。

戦争と核(原発)と貧困のない自由な社会をつくる会

スイス ベーシック・インカム導入をめぐる国民投票

ベーシック・インカム


2013.09.16 黄金の蜜
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なぜなら、カミというのは、太古から人間をして心からよかったと思わせてくれてきたものの総称だからである。『ここで暮らす楽しみ』山尾三省


人はどこで自然、またはカミに出会うのだろうか。
そこには断絶がまたがっているように思われる。
断絶は言葉を超えたものであるだろうし、自分が創造し得ないものを前にした沈黙であるだろうし、
絶句や感動であり、それは感謝へとつながっていく。
でもその断絶こそが交通を可能にし、カミを浮かび上がらせる。


庭先でニホンミツバチを養蜂している方が採蜜するというので車で一時間半程かけて遊びに出かけた。ここ最近ミツバチについてあれこれ考えていたら、クローズアップ現代で特集が組まれたりしてシンクロすることが多く、自分でも育ててみたいとふと思うようになった。

ニホンミツバチはとても小さくてかわいらしかった。愛おしいという形容がぴたりとする。
知らない私が巣に近づいたせいか若干慌ただしさを感じたが刺すことはない。
長崎でニホンミツバチを育てていた養蜂家、故久志富士男の名著『我が家にミツバチがやって来た』によると、ニホンミツバチには知性や人間との親和性があるようだ。


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近所の方々を集めて、主催者のKさんが採蜜作業にとりかかる。重箱式の巣箱の上段だけを解体すると一気にそれこそ蜂の巣を叩いたようにミツバチたちが飛び回る。このときの羽音が素晴らしい。音楽を聴いているようだった。



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作業はあっという間に終了し、皆で蜜をねぶる。混じり気のない美しい琥珀色の蜜がこれまた美しい六角形構造の巣穴から惜しげもなくしたたり落ちるのを指ですくってなめる極上の味に舌がしびれるほど感動した。セイヨウミツバチだと味は落ちるようだ。

このあたりはネオニコチノイド系の農薬を使っていない柚や梅の栽培園が広がっており、四方500mから1kmを活動範囲とするニホンミツバチには楽園だろう。そのせいか蜜は濃厚でありながら柑橘系のサッパリした味がした。ニホンミツバチ1匹が生涯に集める蜜の量は小スプーン1杯だという。

自然というものの他に代えがたい比類なき創造の素晴らしさを心底味わい、しばし呆然としてしまった。




2013.09.08 うわぁ〜
東京五輪決定のニュースに、うんざり、絶望感。。

開発、開発…、なにか「つくらない」という新しい発想の開発はないものか。。。。。。。。。

もうオリンピックも時代遅れになっとるんやないか。。スポーツ・ビジネスか。

荒川の河川敷とかで100m走すればいいやんけ。


山尾三省『ここで暮らす楽しみ』(野草社)からの引用

「ゲーリーによれば、バイオリージョナリズムとは、ぼく達がこれまでのように自然をモノと見なして搾取することを止め、ぼく達人間が自然の一部であることを認識してその場所(地域)に住み直すことを意味しているようで、特に、その場所(地域)に新しい意識を持って住み直すことに重点を置いて話を進めていた。
 具体的に言えば、アメリカ大陸をコロンブスの「発見」以来の白人の天地とするのではなくて、その遙か以前からの先住民が呼んだ〈亀の島〉という呼び名で呼び直し、〈亀の島〉の数千万の山々や河川からなる地域ごとの伝統的な文化を尊重しつつ、洗練された新たなる文明をつくり出して行きたい、というのが主旨であった。(中略)
 地球ということに関心が深まれば深まるほど、ぼく達は逆にこの地域において、場所(ここ)において深く楽しく暮らすことを大切にしないわけにはいかない。そこでぼくは、地球即地域、地域即地球という問題の立て方をずっとしてきたのだが、ゲーリーのバイオリージョナリズムという考え方には、当然そうしたことも組み込まれていることを感じる。」



***
塩で体をこするといいと聞き、風呂にはいったときに天然塩でやってみる。シャワーで体を流す際、それらの塩がいっせいに潮となって海を想った。子宮がんの闘病生活を送っていた女優の洞口依子が沖縄の海に泳ぐわけでもなくただ身を浸している映像を同時に思い出した。




写真-2

ニンジンの種をまいた。
陰暦で7月1日が適期のようだ。
太陰暦のカレンダーを来年は買おうか。
太陽暦は明治から使われ始めたらしい。
ここから狂いが始まったのか。

ニンジンの種はとても小さく、それこそ吹けば飛ぶようなものだ。
それを小さな掘った条にぱらぱら落として、その上に軽く土をかける。
無農薬のニンジンは柿のように美味しいそうだ。
種まきをしていると自然に瞑想状態にはいった。
このニンジンの種のような小ささこそ、人間本来の等身大のはずだ。
ゲンパツもゲンバクもわれわれには巨大すぎる。
小さな社会づくりを目指したいと心底思った。