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2009.07.09
ハロー

小学生に外人に間違えられた。
ある下校途中の小学生に「ハロー」と声をかけられ、マイネームイズ…と続けて喋ってきた。はじめ、なめとんのかコイツと思っていたが、自分もサービスで英語で返しているうちに、その小学生はどうやら自分のことを本気で外人と思っているらしく、必死になって知っている限りの英語を使っているということに気付いて、ええっとなった。
その小学生は調子こいて喋っているうちに、段々自分のことを外人でないと気付き初め、周りの友達になに英語喋りよんのか、と諫められているうちに顔が青くなっていっていって、徐々に気まずそうに遠ざかっていった。(本当に恥ずかしい時、人は顔が赤くなるのではなく、青くなることに気付いた)
美容師に顔の骨格が外人っぽいとか、外人ロックバンドのボーカルの誰それに似ているとか、チャーリー・ブラウンに似ているとか言われたことがあるが、本気で外人に間違えられたのは初めてだった。
子供の認識能力について考える。例えば、その体格の小ささから見える世界は大人のそれとは違う。
大人になって訪れた小学校の校庭や校舎が狭く感じられる。ぼくは鼻が大きく、持っているカバンも大きい。外人のような鼻に見えたのだろうし、カバンの大きさは旅行中のそれと見えたのだろう。
別にその認識能力を甘いと笑うつもりはない。誤解する自由さの幅の広さに、人間の可能性の広さを見たい。周りの諫めた友人より、誤解して堂々と「外人」と向き合った彼に、自分も子供の頃はこんな感じの過剰な子供で、恥をかいてばかりだったという気がした。
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