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2013.07.21
意識レベル
人をどのように見るのか。
趣味の相違、価値観の相違もあるし、性格の相性、年齢もちろん性別、
話し方、第一印象等さまざまなレベルで人を判断している。
そのなかでこの人は苦手だとか、この人とはウマが合いそうだとかいろいろあるだろう。
最近さまざまなブログやフェイスブックなどで『パワーか、フォースか』という本が取り上げられている。
まだ買っていないないが、引用されている文章などを読むとその内容に息をのむ。
これは人の意識レベルを数値で測ろうとする試みである。
もっと言うなら、個人の魂の成長あるいは進化の度合いを数値化したものである。
最高値は1000で「悟り」となっている。最低値は20で「恥」である。
「恥」は自殺へと導くものであるから低いエネルギーレベルである。
どの引用された文章も頭に光りが点灯するようなハッとする啓蒙に満ちているのだが、
たとえばこのような文章がある。
「私たちの意識のスケールにおいては、大きな前進と考えられる二つの臨界点があります。一番目は200であり、パワーが現れる最初のレベルです。ここでは非難をやめる意欲があり、自分自身の行動への責任と信頼が生まれます。原因と責任を自分以外のものに投影しているかぎり、犠牲者意識は抜けず、パワーのないところに留まります。
二番目は500レベルで、愛と無条件の優しさをこころがけます。たとえ誰かがあなたに悪いことをしたにせよ、恨みはまったく正当化されません。あなたは自分の反応を選ぶのは自由なので、恨みを手放しましょう。」
この本の影響か人をその意識のエネルギーレベルで見るようになった。
この本のように細かくは分けないが、ざっと分類するとこうである。
1.利己的な人間
とにかく自分のことしか考えない。自分の都合のみ。物事、状況を俯瞰できない。
社会性の欠如。無関心。セックスや酒、麻薬、買い物などに依存。子どもの精神。
2.内向的な人間
自意識に閉じこもっている。罪悪感、後悔、悲しみへの耽溺。自殺願望。抑鬱
3.社会的な人間
ボランティア、募金、NPOの活動などに関心をもつ。地域社会、政治などにも積極的に関わる。
4.博愛的な人間
地球意識、宇宙意識をもつ。人類皆兄弟の意識。自分と他人の区別はない。
ホームレス、犯罪者、病、貧困者などの弱者を救おうとする。
国境や人種など関係なく。
宗教意識(ただし既存の宗教は本来の宗教意識から遠く隔たっている)。
荒っぽい分類だが、自分はこうやって分けた。
大半の人間は1に属している。残念だが。
うちの会社でも大概は1だ。1のなかにもいろんなレベルがあるが。
最近は2の分類の人間も増えているだろう。
1の人間と4の人間はおそらく一緒にいることはできないろう。
たぶん1にとって4の人間は眩しすぎてその価値はとうてい理解し得ない。
おそらく1は4をカルトだオカルトだ宗教だと言って攻撃し、
こき下ろすことでしか安心できないだろう。
1や2の人間が3や4へ移項する契機はいくらでもある。
死への意識は端的にたましいを進化させるのに役立つだろう。
逆に3の人間が1や2に落ちることもあるだろう。
ボランティアを犠牲的な精神でやっている者は、あるいは自分の寂しさや
孤独を埋め合わせるために、つまり自分が救われんがために人を救おうとしている者は
そもそもが1や2の人間であるのだから、なんちゃって3の人間だったつうことだ。
* **
菅直人が自民党の落選運動をブログで提唱した。これは捨て身だ。この人は本気でひとり脱原発だ。
これはつまり、民主党にも票を入れるなということだ。
最後に今回の選挙の結果について、全く人間の良心が踏みにじられている結果について、
『パワーか、フォースか』のフェイスブックページでは民主主義についてこんなことが書かれている。
「真の民主主義とは、多様な意見を受け入れ、それらの意見を抱合し、一段上の解決策を提示するというのが本来の姿です。まさにその立場は「中立」です。すなわち「中立」精神とは、民主主義の実現を意味する言葉です。
ところで、意見の相違は、意識レベルの相違によって生まれます。例えば、あるホームレスを見る目も意識レベルによって全く異なります。その視点の相違は「パワーか、フォースか 20章 意識の進化」において、詳細に述べられています。
臨界点200の意識に達すると、他者との相違を受け入れ、“意見の相違”は、人生の発展途上で生まれるものとし、それを受け入れる能力は、次第に大きくなります。
すなわち、真の民主主義を実現するには、意見の相違を受け入れるために、人々の意識レベルが200に達しなければ、かなり困難なことを意味します。
従って、少なくとも意思決定者の意識レベルは、200に達していないと、その政治体制や組織は、必ず不幸な結末を迎えてしまうでしょう。」
趣味の相違、価値観の相違もあるし、性格の相性、年齢もちろん性別、
話し方、第一印象等さまざまなレベルで人を判断している。
そのなかでこの人は苦手だとか、この人とはウマが合いそうだとかいろいろあるだろう。
最近さまざまなブログやフェイスブックなどで『パワーか、フォースか』という本が取り上げられている。
まだ買っていないないが、引用されている文章などを読むとその内容に息をのむ。
これは人の意識レベルを数値で測ろうとする試みである。
もっと言うなら、個人の魂の成長あるいは進化の度合いを数値化したものである。
最高値は1000で「悟り」となっている。最低値は20で「恥」である。
「恥」は自殺へと導くものであるから低いエネルギーレベルである。
どの引用された文章も頭に光りが点灯するようなハッとする啓蒙に満ちているのだが、
たとえばこのような文章がある。
「私たちの意識のスケールにおいては、大きな前進と考えられる二つの臨界点があります。一番目は200であり、パワーが現れる最初のレベルです。ここでは非難をやめる意欲があり、自分自身の行動への責任と信頼が生まれます。原因と責任を自分以外のものに投影しているかぎり、犠牲者意識は抜けず、パワーのないところに留まります。
二番目は500レベルで、愛と無条件の優しさをこころがけます。たとえ誰かがあなたに悪いことをしたにせよ、恨みはまったく正当化されません。あなたは自分の反応を選ぶのは自由なので、恨みを手放しましょう。」
この本の影響か人をその意識のエネルギーレベルで見るようになった。
この本のように細かくは分けないが、ざっと分類するとこうである。
1.利己的な人間
とにかく自分のことしか考えない。自分の都合のみ。物事、状況を俯瞰できない。
社会性の欠如。無関心。セックスや酒、麻薬、買い物などに依存。子どもの精神。
2.内向的な人間
自意識に閉じこもっている。罪悪感、後悔、悲しみへの耽溺。自殺願望。抑鬱
3.社会的な人間
ボランティア、募金、NPOの活動などに関心をもつ。地域社会、政治などにも積極的に関わる。
4.博愛的な人間
地球意識、宇宙意識をもつ。人類皆兄弟の意識。自分と他人の区別はない。
ホームレス、犯罪者、病、貧困者などの弱者を救おうとする。
国境や人種など関係なく。
宗教意識(ただし既存の宗教は本来の宗教意識から遠く隔たっている)。
荒っぽい分類だが、自分はこうやって分けた。
大半の人間は1に属している。残念だが。
うちの会社でも大概は1だ。1のなかにもいろんなレベルがあるが。
最近は2の分類の人間も増えているだろう。
1の人間と4の人間はおそらく一緒にいることはできないろう。
たぶん1にとって4の人間は眩しすぎてその価値はとうてい理解し得ない。
おそらく1は4をカルトだオカルトだ宗教だと言って攻撃し、
こき下ろすことでしか安心できないだろう。
1や2の人間が3や4へ移項する契機はいくらでもある。
死への意識は端的にたましいを進化させるのに役立つだろう。
逆に3の人間が1や2に落ちることもあるだろう。
ボランティアを犠牲的な精神でやっている者は、あるいは自分の寂しさや
孤独を埋め合わせるために、つまり自分が救われんがために人を救おうとしている者は
そもそもが1や2の人間であるのだから、なんちゃって3の人間だったつうことだ。
* **
菅直人が自民党の落選運動をブログで提唱した。これは捨て身だ。この人は本気でひとり脱原発だ。
これはつまり、民主党にも票を入れるなということだ。
最後に今回の選挙の結果について、全く人間の良心が踏みにじられている結果について、
『パワーか、フォースか』のフェイスブックページでは民主主義についてこんなことが書かれている。
「真の民主主義とは、多様な意見を受け入れ、それらの意見を抱合し、一段上の解決策を提示するというのが本来の姿です。まさにその立場は「中立」です。すなわち「中立」精神とは、民主主義の実現を意味する言葉です。
ところで、意見の相違は、意識レベルの相違によって生まれます。例えば、あるホームレスを見る目も意識レベルによって全く異なります。その視点の相違は「パワーか、フォースか 20章 意識の進化」において、詳細に述べられています。
臨界点200の意識に達すると、他者との相違を受け入れ、“意見の相違”は、人生の発展途上で生まれるものとし、それを受け入れる能力は、次第に大きくなります。
すなわち、真の民主主義を実現するには、意見の相違を受け入れるために、人々の意識レベルが200に達しなければ、かなり困難なことを意味します。
従って、少なくとも意思決定者の意識レベルは、200に達していないと、その政治体制や組織は、必ず不幸な結末を迎えてしまうでしょう。」
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