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最近アマゾンで注文すると翌日には届くようになった。
ピザが届くように書物やCDが届く。
総合百貨店の統制のきいた空気が好きでよく行くけど、そこの商品は通販より当然高い。
そこには場所代やら人件費やら光熱費やらいろんなものが入っている。
ひとつの物を丁寧に説明してくれるコンシェルジュのような店員とコミュニケーションをとっていると、自然に高くても買ってもいいかなと思ってしまう。
通販というのは必然的にそういった身体感覚を全否定するところから始まっている。
経済の合理性ということで言えば、百貨店や本屋は今と同じような「身重な」形態では、いられなくなるだろうことは明白だ。


店員との会話はただの会話か。ただ?
店員の労働が私を気持ち良くさせ、気持ち良く買い物をさせてくれる。
そこにもお金がかかっていることを通販は暴いて笑うのだろうか。
僕は貧乏なので大方通販で、カード払いですが、それがいいと思っているわけではない。
早く届くことはうれしいけど、そのために切羽詰まった感じで社員が倉庫をかけまわったり、
配送業者が追い詰められたりするのはいやだ。もっとゆったりしてくれ。
海外行くと、頼んだハンバーガーなんかドサッとテーブルに捨てるように置かれ、
えさを食っているような気分になるけど、それくらいゆるくてもいいよ。
神経症的な過剰サービスをされるより。
今日届いたアマゾンの商品も慌てていたのか知らないけど箱が破れていたが、
中身が破損してなければ文句は言わない。もちろんひどい悪徳業者はいるけど。
ああ息苦しい。
ほんとに望んでる社会が現れてなくて、勝手に過剰に配慮した社会が来ている。
変なことになっている。


近くの本屋で見つからなかった本を店員に聞いたら、アマゾンでの注文をすすめられた。
ぼくが意味不明な表情をすると、「あ・ま・ぞ・ん」と丁寧にサイト名を教えてくれた。


日常の挨拶ってなんだろうと思うこと有り。
身近にあまり挨拶をしない人が居るけど、年上なので注意も出来ない。
若い頃は挨拶など面倒なことと思っていたけど。
たぶん教育って、深い意味はよくわからなくていいからとにかく強制的にやらせるということにあるのだと思う。

おはようございますとか、おつかれさまでしたとか、っておそらく、
その都度お互いの関係を更新してるんじゃないのかと最近思った。
会社の社員同士でも近親者でも向き合えばいいことばかりでなく、
ノイズも大いに発生するなかで、かりそめにも仕切り直しというか関係を新鮮なものに保っていく効果が、挨拶には多分にあるのだろう。基本的なことだろうけどそう思った。


社長におまえの文章は中学生以下だと叱られる。



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