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2011.12.04
1951年のショートケーキ
遠方へ出かけるため朝6時過ぎに家を出るも、
まだ深夜のような暗さで夜気の重みに体がたじろいだ。
冬至に向けてどんどん陰が極まっていく。
陰の極まりはまた陽の極まりのはじまりでもある。
小津の「麦秋」をDVDで見る。
もう何度も見ているはずなのに、見るたびに新しい発見と感動がある。
たとえば大和から上京してきた大祖父の茂吉は耳が遠いのだが、
それをツンボと馬鹿にする子供のくだりがあった後、ふと茂吉は縁側の籐椅子に座る。
そこには外からか駕篭からかわからないがウグイスが豊かに鳴く空間が広がっていて、
耳が遠い茂吉とその音の世界が接続されないまま唐突に投げ出される。
このへんの呼吸というか世界のとらえ方が素晴らしい。
茂吉もまた大悟者のようなポジションにいる。
子供から祖父まで各々の相がそれぞれ固有の夢を生きながらも同じ屋根の下で暮らすこと。
これは脚本の野田高梧の力が大きいが省略されたフレーム外の世界、設定や背景が綿密で大きく、キャラクターの造形を一枚岩ではないものにしている。戦死しただろう息子を待ち続ける老夫婦にしても、唐突に思える矢部家への嫁ぎも昨日今日の想いではない長い時間の熟成が画面に溢れている。
この映画の1951年のショートケーキの白さがこのうえない甘みをたたえていたことも付記したい。
淡島千景のコスチュームやモダンな美しさも忘れがたい。
amore (Ryuichi Sakamoto + Fennesz )
まだ深夜のような暗さで夜気の重みに体がたじろいだ。
冬至に向けてどんどん陰が極まっていく。
陰の極まりはまた陽の極まりのはじまりでもある。
小津の「麦秋」をDVDで見る。
もう何度も見ているはずなのに、見るたびに新しい発見と感動がある。
たとえば大和から上京してきた大祖父の茂吉は耳が遠いのだが、
それをツンボと馬鹿にする子供のくだりがあった後、ふと茂吉は縁側の籐椅子に座る。
そこには外からか駕篭からかわからないがウグイスが豊かに鳴く空間が広がっていて、
耳が遠い茂吉とその音の世界が接続されないまま唐突に投げ出される。
このへんの呼吸というか世界のとらえ方が素晴らしい。
茂吉もまた大悟者のようなポジションにいる。
子供から祖父まで各々の相がそれぞれ固有の夢を生きながらも同じ屋根の下で暮らすこと。
これは脚本の野田高梧の力が大きいが省略されたフレーム外の世界、設定や背景が綿密で大きく、キャラクターの造形を一枚岩ではないものにしている。戦死しただろう息子を待ち続ける老夫婦にしても、唐突に思える矢部家への嫁ぎも昨日今日の想いではない長い時間の熟成が画面に溢れている。
この映画の1951年のショートケーキの白さがこのうえない甘みをたたえていたことも付記したい。
淡島千景のコスチュームやモダンな美しさも忘れがたい。
amore (Ryuichi Sakamoto + Fennesz )
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