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朝、玄関を出たら蜘蛛の巣が腕に纏わりついた。


髪を切る。
髪を切っている途中がいい感じなのだが、最終的にはいつも切りすぎている。
だけど、もみあげだけは異様にいつも長くされる。
そして切って一ヶ月後くらいがちょうどいい具合になる。
1ヶ月というのは新しい自分の髪型にセルフイメージが追いつく期間なのだろうか。
生の不連続性の露呈が誤摩化されていく時間かもしれない。


最近は訃報のニュースが多い。
人の死は誰かからの伝言で知る。
自分の死を知ることはできるのか。
オマエハモウスデニシンデイル。


人の死は人を集わさせる。
小津の映画ではお葬式が再会の契機となっていた。
唐突な死ほど再会も奇異なものになる。


自分は事故などで幾度か死に近いところまで足をのばしたが、不思議と共通していたのは、死線の近くでは平静で「死」も「生」もなかったことだった。ああいう状態を「無」というのかなと。小三でもそう思った。たぶん10歳で死のうと80歳で死のうと(自殺は別だが)本質的に同じなのではないかと。何が同じなのかというとうまく答えられない。10歳と80歳では人生の物語は全然違うが。その物語がすべてではないことは分かっている。


この「生」は有限であることは間違いないが、それは一般的に考えられている「死」というもので生が終わりをむかえるわけではない。そういう意味でも荒川修作の言うように「死なない」のだ。保坂和志氏の「死んでからが人生だ」という直観。


いまの暑い、この時期には死について自然に考えるようになっている。お盆や慰霊祭、中上健次の命日など死んだ者が近くにいる時節。


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