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2009.06.30
日本刀に目が眩んで

東京に住んでいた頃は、美術館や博物館がこれでもかというほどあったので、よく行っていた。
熱海に近い湯河原というところに木村美術館という個人がやっているこじんまりとした美術館があるのだが、僕はここで「本物」の日本刀を見て、やっぱり本物を見ないと目は養われないとつくづく思ったことがあった。(冬で暖房が効いてなくて、足がしびれるくらい寒かった)
ここには名匠正宗や国光といった相模の日本刀が平気で並べられているのだが、特に正宗のそれは背筋が凍りつくほどの迫力があった。人を斬る道具でもあるせいか、とにかく妖しいのだ。それでいて工芸としての一級の価値があり、頭がくらくらする。これは鑿(のみ)とかの日本の刃物系全般に言えることだけど、硬 いけど柔らかいとか、軽やかだけど重いとか、強いけど弱いとか、対概念が平気で同居する深さがある。(刃物系だけじゃなく、日本の思考本質にすべてあるのかもしれないが。)
日本刀を見ると、そこに「精神」や「魂」といったものが宿り、あるいは神に奉献される神聖な浄化された代物であるというのも納得できる。単なる「物」を超えてしまっている恐ろしさ。長く対峙していたら確実に頭がおかしくなりそうだ。
日本刀は少し離れて、頭を上下させて見るとその刃の冴えっぷり、映えっぷりが良くわかる。鉄を「鍛える」という感じも納得するし、時代小説でよくある「刀が月光に青白く光った」という青白さもよくわかる。上野の国立博物館の童子切安綱とか名物と呼ばれる超一級のものが見たい。宮内庁も天下に誇る名刀を保管 しているが、名刀のほとんどは戦後GHQによって奪われ海外流出してしまっているという。。悔しいかぎりだ。
ちなみに刀剣は「一振(ふり)」、「二振(ふり)」とカウントする。ちなみにちなみにラケットも一振(ふり)とカウントする。
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