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2011.07.06 家と鍵
雨。雨が熟している。
序章の感じではなく、もうフィナーレの豪雨だ。


昨日はじわりと揺れた。
久しぶりに緊急地震速報を聴く。
どこでどのくらい揺れるか不明なまま予期された地震を待つことは何かに似ているが思い出せない。


被災者の方は家を流されても、家の鍵はいまだに手放せないという。
家はなにかを象徴しているというより、自分そのものの延長だ。


旅に出て、1週間くらい家をあけて玄関に入ったときに、
こもった匂いがして、自分を確認する。
旅の快楽は目的地そのものにあるというより、家との遠近感によって立ち上がる。
家から離れることは快楽であるし、帰還して包まれることも快楽である。


フッサール現象学のノエシスとノエマの対概念。
意識は必ずなにものかについての意識である。
意識だけを純粋にとりだすことはできない。
意識はその意識対象をそれ自身のうちに有している。


家と鍵について想っていたら、ノエシスとノエマを思い出した。
逆に言えば、家を失っても鍵がまだあるなら家もまだあることになるのではないか。
それもまたなにかに似ているが思い出せない。


豊穣なロストによって、わたしという廃墟は支えられる。



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