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2011.07.01
会談は突然中止に
老いてすでに引退した原発作業員400人が志願して原発収束にあたるというニュースに胸が熱くなる。クリント・イーストウッドを思い出した。
7月。TOP画像を換える。
ある環境系NPOの年に一度の総会に参加する。
いつもはコアな人しか来ないけど、今日は初見の人がちらほらいたから名刺交換をする。
そのうちの一人は40代はじめくらいの大学教授だった。
研究職の人が来るのは珍しいなと思った。
総会での協議が煮詰まってきて、ひとりずつ何か喋ってもらうということになった。
みな思い思いに原発事故後のNPOのあり方について喋る。
自分は再生可能エネルギーについて喋ったような気がする。
つぎにその教授の話す番がきて、なにを喋るのか期待して聴いていた。
はじめ広瀬隆の著作を出してきて、いろいろ喋り始めたのだが、そのうち例会通信がどうとかとか、地下存在がもうすぐ地上にあがってくるとか、その地下存在が首相と会談予定だったのがモサドの計略にはまって突然中止になったとか喋り始めて、さっきの例会通信の例会って「霊界」のことなのかとふと頭を働かせ、真顔で話すその教授と周囲の凍りついた空気とか、とにかく唇が発狂していた。
そんな話を延々と聴いているうちに(だれも止める勇気がなかった。話そのものは陳腐だったかもしれない)狂気とか自分は正常であるとかそういうことが線引きできていることの不思議さを思ったりした。環境系への関心と精神世界はすごく結びつきやすいし、それがオカルトにまでいく人もいるだろう。
この世界を支えているものはなにもない。北一輝の言うように、神は結論を与えて説明を避く。地震にも津波にも説明はない(原発は説明できるが)。説明がないことこそが自分にとって救いだと思うけど、そんな人間は少数派だろう。人工地震だとすれば説明できてしまう。それで世界のつじつまを合わせる。それがオカルトの源泉かもしれない。
オカルトとオカルトっぽいけど全然違うものの区別は自分の中では明確にある。
UFOは心の底から見てみたいと思う。
虫の知らせとか、神社の清浄さとか、巨木への畏れとか、
そういうのは自分の身体感覚と強く結びついているけど、
地下存在とか人工地震は自分から遠い。
それは科学的に説明できないからではなく、
設定そのものの退屈さ、チープさが面白くない。
それはどこまでも科学的ですらある。
外にあることの豊かさはない。
精神の怠惰だ。
図書館や本屋ではなぜか哲学と精神世界が隣り合って分類されている。
いや積極的に混同されていさえする。
リンチの映画「インランド・エンパイア」にはまるで映画の外に置かれたかのように、映画のスタッフからお金を借りまくる製作助手の人間が出てくる。この教授にはそのような目の前なのに、ものすごく遠くに居るような男だった。とても無害でいい人なんだけど。
オカルト系の人たちに多く共通する鈍感さ。
自分のこの世界観が激しく拒絶されることへの空しさや孤独感がまるでない。
話せば空気を引き裂き周囲は引いてしまうということを先取する意識がほとんどない。
結局なにを書きたかったのか。
「不合理ゆえに吾信ず」がこの世界で生きる作法だとしても。
まともだと思われた教授が地下存在とかUFOとかについて語り始めた瞬間は、吹きそうになるのを抑えつつも、じつはとても感動していた。なんでもありって、なんでこんなに勇気が出るんだろうって。出鱈目な事に感動。素直に解放された。
7月。TOP画像を換える。
ある環境系NPOの年に一度の総会に参加する。
いつもはコアな人しか来ないけど、今日は初見の人がちらほらいたから名刺交換をする。
そのうちの一人は40代はじめくらいの大学教授だった。
研究職の人が来るのは珍しいなと思った。
総会での協議が煮詰まってきて、ひとりずつ何か喋ってもらうということになった。
みな思い思いに原発事故後のNPOのあり方について喋る。
自分は再生可能エネルギーについて喋ったような気がする。
つぎにその教授の話す番がきて、なにを喋るのか期待して聴いていた。
はじめ広瀬隆の著作を出してきて、いろいろ喋り始めたのだが、そのうち例会通信がどうとかとか、地下存在がもうすぐ地上にあがってくるとか、その地下存在が首相と会談予定だったのがモサドの計略にはまって突然中止になったとか喋り始めて、さっきの例会通信の例会って「霊界」のことなのかとふと頭を働かせ、真顔で話すその教授と周囲の凍りついた空気とか、とにかく唇が発狂していた。
そんな話を延々と聴いているうちに(だれも止める勇気がなかった。話そのものは陳腐だったかもしれない)狂気とか自分は正常であるとかそういうことが線引きできていることの不思議さを思ったりした。環境系への関心と精神世界はすごく結びつきやすいし、それがオカルトにまでいく人もいるだろう。
この世界を支えているものはなにもない。北一輝の言うように、神は結論を与えて説明を避く。地震にも津波にも説明はない(原発は説明できるが)。説明がないことこそが自分にとって救いだと思うけど、そんな人間は少数派だろう。人工地震だとすれば説明できてしまう。それで世界のつじつまを合わせる。それがオカルトの源泉かもしれない。
オカルトとオカルトっぽいけど全然違うものの区別は自分の中では明確にある。
UFOは心の底から見てみたいと思う。
虫の知らせとか、神社の清浄さとか、巨木への畏れとか、
そういうのは自分の身体感覚と強く結びついているけど、
地下存在とか人工地震は自分から遠い。
それは科学的に説明できないからではなく、
設定そのものの退屈さ、チープさが面白くない。
それはどこまでも科学的ですらある。
外にあることの豊かさはない。
精神の怠惰だ。
図書館や本屋ではなぜか哲学と精神世界が隣り合って分類されている。
いや積極的に混同されていさえする。
リンチの映画「インランド・エンパイア」にはまるで映画の外に置かれたかのように、映画のスタッフからお金を借りまくる製作助手の人間が出てくる。この教授にはそのような目の前なのに、ものすごく遠くに居るような男だった。とても無害でいい人なんだけど。
オカルト系の人たちに多く共通する鈍感さ。
自分のこの世界観が激しく拒絶されることへの空しさや孤独感がまるでない。
話せば空気を引き裂き周囲は引いてしまうということを先取する意識がほとんどない。
結局なにを書きたかったのか。
「不合理ゆえに吾信ず」がこの世界で生きる作法だとしても。
まともだと思われた教授が地下存在とかUFOとかについて語り始めた瞬間は、吹きそうになるのを抑えつつも、じつはとても感動していた。なんでもありって、なんでこんなに勇気が出るんだろうって。出鱈目な事に感動。素直に解放された。
彼岸花さん
老いた原発作業員や技術者の、言わば、決死隊。
美談なんだけれど、同い年くらいの私としては痛々しくってなりません。
でも、もし私がかつてそういう仕事をしていた男だったら、自分も志願するかも。
小出裕章先生も加わりたいとか何とか前、おっしゃってましたね。
しかし、これを美談に仕立ててしまって、彼らの勇気が
原発事故の本質から目を逸らせるのに利用されてしまわないように願っています。
これを受け入れる側は、同じくらいの悲しみと切実さをもって受け入れて欲しいです。
ほんとはこれは、あってはいけないくらい滑稽で、その滑稽さが悲しいことなのだから。
もう一つのNPOの会議でであった教授、という方は、別な意味でシュールですねえ。
どっちも、なんだか「何でも有りなんだな!」って、笑えてきますね。
『なんでもありって、なんでこんなに勇気が出るんだろう』…その感覚、わかりますわかります!
この世は豊穣なんだ…!
ということだと思うんです。
この世は当たり前のことだけ…。そういう見方はつまらない。
日常の中に綻びはいくらでもある。原発事故のような、信じられない破綻も突然起きる。
それを怖いからと言ってすぐに日常に引き戻そうとする心の動きを私は拒みたい。
目の前にぽっかり空いた破綻や綻びを、私はぎりぎりと開いて覗き込みたい。
中にある真実を見極めたい。
また、日常の、些細な出来事の中に時々巡り合う、ささやかだけれどなにか奇怪なもの…
それにも敏感でいて、面白がりたいですねえ。
(原発事故は、無論面白いなんてそんなものじゃないですけれど。)
fukashiさんが、吹きそうになってらっしゃるお姿を想像して、私も吹きそうになりました。
原発作業員OBの方もそうですが 、この世には、いい方が多いんだなあ…
美談なんだけれど、同い年くらいの私としては痛々しくってなりません。
でも、もし私がかつてそういう仕事をしていた男だったら、自分も志願するかも。
小出裕章先生も加わりたいとか何とか前、おっしゃってましたね。
しかし、これを美談に仕立ててしまって、彼らの勇気が
原発事故の本質から目を逸らせるのに利用されてしまわないように願っています。
これを受け入れる側は、同じくらいの悲しみと切実さをもって受け入れて欲しいです。
ほんとはこれは、あってはいけないくらい滑稽で、その滑稽さが悲しいことなのだから。
もう一つのNPOの会議でであった教授、という方は、別な意味でシュールですねえ。
どっちも、なんだか「何でも有りなんだな!」って、笑えてきますね。
『なんでもありって、なんでこんなに勇気が出るんだろう』…その感覚、わかりますわかります!
この世は豊穣なんだ…!
ということだと思うんです。
この世は当たり前のことだけ…。そういう見方はつまらない。
日常の中に綻びはいくらでもある。原発事故のような、信じられない破綻も突然起きる。
それを怖いからと言ってすぐに日常に引き戻そうとする心の動きを私は拒みたい。
目の前にぽっかり空いた破綻や綻びを、私はぎりぎりと開いて覗き込みたい。
中にある真実を見極めたい。
また、日常の、些細な出来事の中に時々巡り合う、ささやかだけれどなにか奇怪なもの…
それにも敏感でいて、面白がりたいですねえ。
(原発事故は、無論面白いなんてそんなものじゃないですけれど。)
fukashiさんが、吹きそうになってらっしゃるお姿を想像して、私も吹きそうになりました。
原発作業員OBの方もそうですが 、この世には、いい方が多いんだなあ…
2011/07/02 Sat 13:23 URL [ Edit ]
fukashi
いろんな情報操作がおこなわれていますが、中立の立場をとらなければいけないNHKも軸が少しずつ脱原発のほうに動いているのが感じられます。
経済原則だけで考えるなら世界は貧しいものになってしまう。世界の豊穣さに触れるために、文学とか絵画といった芸術があるのだし、ブログでもそこに奉仕したいと常々考えますね。
いつも彼岸花さんの長文コメントありがとうございます!
経済原則だけで考えるなら世界は貧しいものになってしまう。世界の豊穣さに触れるために、文学とか絵画といった芸術があるのだし、ブログでもそこに奉仕したいと常々考えますね。
いつも彼岸花さんの長文コメントありがとうございます!
2011/07/03 Sun 19:32 URL [ Edit ]
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