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2011.06.25
祈りの海

研修へ長崎へ。
朝はどんより曇っていたものの、
昼過ぎに研修が終わって外へ出たら、
これぞ夏という光線が風景をあぶり出していて、
思わずテンションがあがった。
梅雨の長い茫漠とした風景に飽きていたのかもしれない。
午前と午後とで世界の顔が違っていた。
夏の強い光線は光か影かどちらかにはっきりと風景を分ける。
物が熱を帯びた光そのものになる。
光がなければ照らされる対象は見えない。
でも光がありすぎると、対象そのものが光になっていくような。
このような光線に身体が飢えていた。
見えすぎる世界に興奮した。
度を調整した眼鏡をかけたかのような。
会いたい人もいたが、とんぼ帰りなため自由な時間がなかった。
バスに乗るまでのわずかな待ち時間を利用して少し街を歩いた。
長崎の坂は素晴らしいというか凄まじい。
東京の坂は一本調子だけど、長崎のそれは割れている。
坂の中に坂がある。
ひとつの坂の終わりがまた別の坂を呼び出したり、
坂そのものの中に複数の坂というか、ベクトルの違う傾斜が混じっている。
これって街全体がまるで荒川修作の設計したテーマパークのようだよ。
熱射のなかを歩き続ける。
坂から坂へ、階段から斜面へ、傾斜から坂へ。
心地よく平衡感覚を喪失する。
壁を歩いているんじゃないのかとふと思ったりする。
不意に原爆の痕跡や幕末、キリスト教の史跡と出くわす。
猫が多いのも素晴らしい。
上司の遠藤さんは僕に付き合いきれず、いつの間に涼しい駅ビルのなかに消えた。
またプライベートでゆっくり来て、歩き尽くしたいと思った。
雲から抵抗へはしばらく長崎特集にします。1時間で100枚以上撮ってた。。
駅前にある「ほんだらけ」という古書店に立ち寄ったら、何気に充実していた。
昔の雑誌「遊」とかが売っていた。
地方ではこういう文化的な良心のある店は少ない。
本は心のご飯です、という店のキャッチがいい。
ここの社長の樋口道也さんはいつかテレビで出ていたな。
夢について語っていたのを思い出す。
店内の本棚を徘徊していたら、絶版となっている小島信夫『別れる理由』を発見!!
3巻セット5,000円の価格に一瞬躊躇するも、1冊約1,700円だと考えるとかなり良心的だ。
カードが使えなかったのは残念だが、思わぬ収穫。
死ぬまでに読まなければいけない本のひとつ。年内に読了したい。
おみやげに福砂屋のカステラを買って、急いで高速バスに乗り込む。
バスの中では、山田洋次の映画がチョイスされ流れていた。
絵だけを漠然と見てもわかる内容。
すべてひとつひとつが観客と作り手の談合。
これが世間で言われている、共感とか理解だとかコミュニケーションあるいは娯楽というものの中身。
これは泣けます!
芸術はコミュニケーションではない。
こういう映画の必要性は否定しないけど、病で仰臥している人間を真横で撮るショットはないのではないのかと絵を見ながら憤慨した。
バスは進む。
窓から見える外の世界は横溢する夏の光線で、どの風景も讃歌でみたされていた。
大村湾は光の粒だちでみたされ海は黄金そのものになっていた。
湾岸に沿って水量の多いまだ田植えをしたばかりの棚田や、ビニールハウスの表面、軽トラやコンバインにも数えきれないほどの光線の恩寵が降り注いでいて、それらひとつひとつを確認せずにはいられなかった。
目が焼けてもいいから、この光景をずっと見ていたいと思った。
そのときふと、失ったものも全部取り戻せるのではないのかという漠然とはしているが力強い確信がした。
あのときヘリのショットでビニールハウスがなぎ倒されていく映像のアングルといまの高速から見ている田畑のアングルが同じだからそんなことを感じたのかもしれない。それはでも簡単には反駁できない強い確信だった。
音楽とか小説とか映画がこういうところから立ち上がってほしいと思った。
そういう強い思いと平行して、いやスクランブルに長崎の坂とか原爆とか皿うどんとか研修のこととか『別れる理由』とか山田洋次の映画とか上司の遠藤さんの無関心さとか全部あった。
それ自体がとてつもなく力強いものだった。それらすべてが突如あらわれた夏の光線に貫かれていた。いやもしかしたら貫かれていたのは突如あらわれた『別れる理由』にかもしれないけど。

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