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2011.05.01 ある陰翳
霞



五月。
四月とはなんだったのだろうか。
春の小躍りしたくなるような日はほとんどなく、
ただ消耗し、疲弊し、狼狽していたような。
いやどうだったのかさえ、朧げな一ヶ月だったような。
でもまあとりあえず五月みたいなので。


黄砂がひどくて見通しが悪い。
ほんとに景色が黄色みがかっている。
中国核実験での放射性物質がこの黄砂に付着してないことを祈る。


生肉問題をスケールアップすると原発問題とフォルムが重なる。
お金儲け最優先。
焼き肉屋社長も福島県知事も被害者になることで身を守るところも同じ。



河本英夫『飽きる力』を読む。
いくつか決定的に重要なことがさらりと書かれていて、
何度か戻っては進みを繰り返す。


「過去に生きる」ことに飽きる、との言葉に立ち尽くす。
いつのころからか過去を振り返ったり、悔やむようになったのは。
子どもの頃は前しかなかったわけで。
被災地では、子どものもつその前へ進むしかない力が周りに元気を与えている。


昔、友人が冬の終わり頃に会うやいなや「もう冬には飽きたわ…」と、
ぼそりと呟いたことを思い出す。
それはとても重苦しいため息似たつぶやきだった。
寒い中やっとこさ布団から出て、厚手の服を着て外へ出ることの反復に、
息が切れて…その感じがすっと伝わってきた。


自分のやり方、いや生き方そのものが間違っていることに気づくのは難しい。
気づいても直視するは恐い。
それを方法論的にやり直していくのはさらに難しい。


連休中は容易に昼夜逆転の生活をしてしまうけど、
深夜はあらためて静かだなあと思って、この静けさを抱きしめたくなるほど。
それほどに静けさから遠ざかっていた生活をしていたのだろう。


そんな小雨の蒼暗い深夜に少し表に出てみる。
皆どこかへ出かけているのか、
いつも車で埋まっている大きな駐車場が今日はがらりとして、
その隅に大きな栗の木があることにはじめて気づいた。


「私は、京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つくづく日本建築の有難みを感じる。茶の間もいいにはいいけれども、日本の厠は実に精神が安まるように出来ている」

「事実、日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生まれているので、それ以外に何もない」


「諸君はまたそう云う大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う」
『陰翳礼讃』谷崎潤一郎


『飽きる力』を引用しようと考えていたが、『陰翳礼讃』をひもとくと、ついすべての文章を引用したくなる。


九州でもこの夏、計画停電の話があるが、日本の夜は明るすぎるからこの機会に暗さを楽しみたい。子どもの頃、何度か停電があって、ロウソクの灯りにわくわくしたような記憶が。ドリフの停電ハプニングも素晴らしかった。




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