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2011.04.19 無題
街灯



あなたとともにいますという言葉。


日本のいくつかの場所でオーロラが見られているらしい。
オーロラって確か放射線の作用によって形づくられるのでは。
いつもある種の美しさをともなうカタルシスのイメージは陳腐。
核によって終わるというのももっと陳腐。
でもその陳腐さにとことんつき合わせられるのもこれからの人生。


鯉のぼりは素敵だが、強風で一晩中騒音がして苦しい。
ヨットの帆が風を受けているような音。
無神経な人間だが、これは神経に障る。
降ろすまでの日は数えまい。


地震予知が盛んだが、地震そのものをとめることができないことに気づいて立ち尽くす。


消防庁なんかが定めた避難区域よりも、先祖からの「この下より家を建てるな」という石碑の箴言の方がなぜ有効だったのか。法や制度といったものと自然との救い難い離反のうえにどっかり腰を据えてしまっている。


今日も月が畏ろしい。

出口王仁三郎は日本の人口は3500万人しか残らないと戦後預言している。
ちなみに大本教は反原発で知られた宗教団体である。
ちなみに氏の預言は外れたことがない。


最近はよく腑に落ちる体験をよくする。
腑に落ちるというすっきりしたものではないが、
昔した体験や見た景色が自分に大きく木霊のように戻ってきて、
新たな体験として受け止めるような動揺。
そこにはため息まじりのものもあれば、
ぎりぎりのところで肯定する狡猾さもあるし、
酔いにまかせて歓びに似たステップを踏むことも。
でもその折り返される力をしっかりと受け止めることができるのは、
自分の家があるからだろうか。
新たな決心や井戸を掘り続け明日を夢見る夢は自分の家があってこそか。
今が10年後どのように自分に戻ってくるのか途方に暮れる。


大島渚は自分が苦難に陥ったときには心中で「ざまあみやがれ」と呟くことにしているという。
これはいいと思って自分も実践し続けもうかれこれ15年にもなる。
自分に向けるざまあみやがれは、自我とのなれ合いを斬り裂いてくれる。
いや自我と出会う場所をより難儀なところにするというのか。


「私が岩の入口に通じる階段へ近づいたときに、不思議なことが起こった。つまり、私はすべてが脱落して行くのを感じた。私が目標としたもの、希望したもの、思考したもののすべて、また地上に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった。この過程はきわめて苦痛であった。しかし、残ったものはいくらかあった。それはかつて、私が経験し、行為し、私のまわりで起こったことのすべてで、それらのすべてがまるでいま私とともにあるような実感であった」
ユングがセイロンの寺院を訪ねたときの情景


ドナルド・キーン日本永住へ帰化手続。


The Aurora


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