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2011.03.21
ぶぶ漬けの味

部屋から小鳥の声がよく聞こえると思ったら、
窓があきっぱなしだった。
いつから開けていたのか、思い出せない。
水彩で描いたことのあるような雲が広がっていた。
ちょっと水で滲ませた感じの。
そんなことを思っていたら、雨が降り始める。
雨の降り始めに立ち会うというのはいつも一瞬、神妙にさせる。
子どものときはただ単にはしゃいでいたような気がするが。
政府の発表とツイッターやブログ、海外などの分析があまりに違いすぎて、中心が空洞化してしまっている。
この二重性にとことんつき合わせられている。
バルトを俟つまでもなく、もともと日本はそういう国だったのだろうが。
中東でSNSによる革命の勃発がいまいちよく理解できなかったのだが、
この空洞化を目の当たりにすると、そうかと得心した。
中心での言語はなにものによっても保証されていないということが暴露されたということか。
いや、そんなことは以前からわかっていた。
むしろそれを建前として受け入れる余裕の作法が文化としてあった。
信じるふりをしてとっとと逃げる。
大本営発表の愚から学んだのは、中心には本当のことはなにもないことだった。
「本当のことを云おうか」谷川俊太郎
「僕はこれからは絶対なにも信じないと誓った」敗戦後の大島渚。
建前という日本の資源が政府ごとぶっ壊れないことを祈る。
もちろん建前は本音との対概念だから、本音がなければ建前もないのだが。
そうであるなら元も子もないが、政府自体が一私企業の報告を鵜呑みにしている様子だと中心の空洞化は周辺にも及ぶだろう。それが風向きによって影響するのかはわからないが。それが測定されるのはずいぶん後になってからになるだろう。その時はもういつものように手遅れなのだが。
育児ストレスのせいか上階に住む若奥さんが、泣く赤子に怒鳴り散らす声が響いてくる。
お母さんの叫びと赤子の泣き叫ぶトーンが見事にシンクロしていた。
いまはとにかくテクストを読む。あやうく『責任という虚構』という本を買いそうになった。
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