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2010.06.30
練習の光景

惜敗という言葉はいままで頻繁に、しかも軽々しく使われてきたが、
昨晩のサッカー日本代表の最終戦ほど惜敗という言葉が的確なものはない。
こういう場合でこそ使われる言葉だと思った。
いまは情緒的になるよりも、けっこう退屈だった試合の感想も含めて将来の日本のサッカーを考えるときだろう。
岡田監督は「日本のサッカー」というものを、例えば南米とかヨーロッパのサッカーと単なる対峙させるのではなく、まったく違ったところから勝つための解決法を見出そうとしていたのではないのかと、昔のインタビューとか読みながらそう思った。例えば、ボクサーに合気道で立ち会うとか、フランス料理に玄米粗食の味を向き合わせるとか。今回の大会でなにより大きな収穫は「世界」にたいするコンプレックスを払拭したことにあるだろう。やればできると思うのとやっても厳しいと思うのとでは全然ちがう。これから8年くらいは非常に大きな飛躍が日本のサッカーにあると思う。つまらない試合や手を抜いたプレーというのが許されないような環境ができあがってくることを期待する。ありがとう。
毎日見る郵便局の前のグラウンドで小学生たちが日が落ちてもサッカーの練習をしていた光景が今日ほど美しいと思ったことはない。
人から感動をもらうのもありがたいが、やはり自分が感動を与える側に立ちたいと思う。贈与の中身と送り先について、つねに考えたい。
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