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2010.06.11
上書きせず

梅雨入り前の最後の天晴。
窓から入ってくる風が涼しいと感じたから、暑さを覚えていたのだろう。
女性社員が何度も油とり紙を使っていた。
男は別名で保存。
女は上書き保存。
これは過去の恋人にたいする男女の対応の取り方の差異だ。
対応というか心もちだ。
一緒に撮った写真は捨てる。
相手の写真も捨てる。
では相手が撮った自分の写真や相手の撮った風景の写真はどうするか。
つまり相手の視線というか相手の見た世界というか。
そこに自分自身が写る屈折。
家に帰ったら、部屋がむんむんして思わずクーラーをつけようかと思ったが、
換気扇でなんとか凌いだ。
ゴーギャンの絵画の長いタイトルを思い出した夜。
われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか
黒沢清監督の「トウキョウソナタ」の小泉今日子はすばらしい、というか怪演だろう。
過去の厚みとか日常の主婦の重みを身体の中にはっきりと織り込んでいる怖さがある。
凄い前に見た映画を少しだけ、言葉にしてみる。
AKBのひとたちの顔が少しだけわかるようになった。
若い人たちの顔の区別がつきにくくなる現象はやばいことなんじゃないのかと思った。
fukashi氏の通った哲学科の教授たちはみな、若い学生の顔と名前を瞬時に覚えることに長けていた。
そういう世界との接する面の開き方は参考になるだろう。
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