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しましま


光線はどこにも例外なく強烈に当たって、全ての事物を鮮明にしていった。
新緑の淡かった緑たちもいつの間にか濃く深い色のものになっていた。
すこし悲しくもなった。
切なすぎるほどの快晴。



昔ドラゴンクエストをやっていたら(あれは2か3)途中でバグって(死語?)しまって、すべての吹き出しの文章の末尾に「らしい」がつくようになってしまった。

「勇者はスライムを攻撃したらしい」とか「魔法使いは死んだらしい」とか「はぐれメタルは逃げたらしい」とか。こういうことに小学生のfukashi氏は笑い転げていた。
 
らしいがつくと、すべてが締まらなく、不確定な言辞が不確定な世界を生み出し、どこで真剣になっていいのか、戸惑う。なにごとも決定されない世界。カフカのような。
 

昔批評の勉強をしていた時に、尊敬するある講師がまず最初に断言することが重要だというようなことを言っていた。たとえば、ゴダールは20世紀の記憶である、とかこの女優は私のことだ、とか。

決めるということは、その世界をフェアに引き受けることなのだと、批評とはなにかをこき下ろしたりすることではないんだということを漠然と感じた。




らしい、という言葉をほとんど使わなくなった。それもかなり意識的に。

でも風の噂を表現するのに、らしいは便利だ。

自分の中の勇者は死んだらしい、とは思いたくない。

死んでないらしい、と呟きたい。

風の噂として囁かれた、自分の救いの調べを聴く。


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