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2010.05.23
内側に降る雨

深夜のはげしい雨
部屋の中の空気が淀んで耐えられず外に出る
田舎の夜はちゃんと暗い
視覚よりも匂いや音のほうで世界がつくられていた
それがとても居心地がよかった
驟雨
漫画のカムイ伝で覚えた雨の種類
南の島に旅したとき
遠くの海のある特定のエリアだけに
雨が降っているのが見えた
人間のいないところでも
人知れず雨が降っていることに
口がぽかんとなった
今日は驟雨で立ち往生して困っていたおばあちゃんに傘をさしてあげた。
いいことをしたら、それは貯金されるような気がした。
まずいことをしたら良心は削られる。
死ぬときにそのへんのプラスマイナスが勘定される。
プラスが上回ればマイナスは帳消しにされる?そんなことないか。
人の役に立つ事が無性にしたい。困っている人とか飢えている人とか。
人じゃなくても困っている木とか山とか海でもいい。
でも顔の見える名前もある、身近な会社の人とか肉親とか友人にたいしてはそれが難しかったりする。
抽象的な「世界で飢えている人」とか「平和」とかにばかり目が向いているfukashiさんは浅い。
人を一人育てたり、幸せにすることの方が血だらけになる。
社会運動に身を投じて家庭はぼろぼろという人もいる。
(まあそもそも社会運動と家庭環境は無関係だと思うが)
でもじゃあ前者は不要かといえばそうでもなかろう。
どちらも見紛うことない現実だし。
見えるものと見えないもの。
世界のバランスは完璧な調和というよりも、つねに均衡を失いかけている状態と元に戻ろうとする涙ぐましい努力がなんとかせめぎあっている動的な緊張のありさまのことだ。高層ビルとビルを綱渡りするみたいな命がけの。
驟雨の深夜に黒沢清の映画「トウキョウソナタ」を見て、そんなこと、考えました。
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