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2010.05.07 奉仕
牛と看板


リアリズムとはヒューモアのことであると言ったのは柄谷行人だったか。
このような牛のおかしみをどのように受け止めようか。
牛をリアルに表現しえた作品とその作り手の本気の姿勢の両方にヒューモアがあるのだろうか。
どんなに龍を精巧に彫ろうとも、ヒューモアが沸き上がってこないのは、想像上のものであるからだろうか。


DVDの宮崎駿の思考過程も4巻までくると、もうほとんど同じようなシーンの積み重ねだけど、その茫漠たる感じとか回復できない疲労感とかが画面にはっきりと刻まれている。彼の姿を見て、「芸術に奉仕する」という言葉を思い出す。奉仕させられていると言ってもいい。

このDVDの主題とは関係ないが、宮崎駿の窓際の席からは絶えず鳥のさえずりとか夜には虫の鳴き声が聞こえたり、窓から見える曇り空や仕事が終わったあとの夜道とか、ビデオカメラに写されるそれは、まぎれもない武蔵野周辺の空気そのものを映し出していて、異様に感動してしまっている自分がいる。これは私の中の武蔵野の「再現」なのだ。

内田樹氏の本に「<私と名乗る他者>に言葉を託す経験」という言葉を見つけて、私のことを<彼>または<fukashiさん>としてブログに書いてみようとふと思い立つ。


撮影監督ウィリアム・リュプチャンスキー逝去。
世界の一部分が欠けた。

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