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木彫龍


信じ難いまでの超絶技巧。
ここまでやってしまっていいのだろうかとも思ってしまう。
この世界に現出させたというその事実性は全世界の人間に共有される、とふと思った。

洗車をした次の朝に車が泥をかぶったように汚れていた。
どこからこの泥が来たのかと不思議だった。いたずらでもされたのではないのかと。
それが中国から来た黄砂だと思いつくのにしばらくかかった。
町行く車はどれも汚れ、ガソリンスタンドの洗車コーナーには長い列ができていた。



内田樹『邪悪なものの鎮め方』を読み進める。
「私が今あるような人間になったことについて私は誰にもその責任を求めない」

「いかなる根拠もなしに人を傷つけ損なうものの対極にはいかなる根拠もなしに、人を癒し、慰めるものが屹立しなければ、私たちの世界は均衡を失するだろうということだけはわかる」

「年齢や地位にかかわらずシステムに対して被害者・受苦者のポジションを無意識に先取するものを“子ども”と呼ぶ」


会社に入ってきた10代の新入社員の教育係を担当していることもあって、人間の成長ってなんだろうかと考えることが多くなった。社会性ということで言えば、女性の方が男よりはるかに成熟していて、既に自分の意志や想いといったものが言動に宿っている。男の方はといえば、まだ何者でもなくて高校生の延長にすぎない感じ。でも自分を振り返って見れば途方もなく幼かったので、あまり叱る気にもなれず、教育係としては甘いなと反省。

でもある時きっと自分の進むべき、生きるべき道を見つけるのだろう。
それには激しく自分を動揺させる体験というものが必須だ。
そういった方向へ導いてやる「大人」が今の日本には少なくなっているのかもしれない。

今の会社の社長をとても尊敬している。
それは自分の不本意な形での社長業という職に就いてしまった運命を愚痴りつつも粛々とこなしている姿に凄みを感じるからである。自分の望まない形での現在、動かし難い現在を真っ正面から引き受けるのは苦しい。自分にはとても苦手な事だ。

そういう周りの人間たちを見て、ちっぽけな自分も少しは「成熟」とはなにかが分かり出したような気がする。

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