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創作


創作料理屋というからには、看板もそれなりに趣向のあるものでありたい。
木目のゆらぎも眩しいものがあるが、樹皮もまた味わい深いものがある。

うちの会社の関係の人で九州で1位、2位を争うほどのトップセールスマンの人がいて、その人がある会社を飛び出て、一人で営業をするようになったのでが、うまく成果をあげられずに苦しんでいる。

その人が以前の会社において優秀な業績があげられたのは、その人のスキルや努力があってのことだが、また同時に彼を裏で支えた部隊、組織力が背景にあってのことで、自身の成績に溺れて増長した彼はそれを全部じぶんの力だと思い込んでしまった。会社を飛び出たことで過信は見事に打ち砕かれたわけだが、自分の高い自意識、プライドだけは譲歩することができずに、現況を周囲のせいにしようしている。そしてただひたすら過去の自慢話をしてなんとか苦い現実を甘いものにしようとしている。

(まあもちろんかれをここで笑い者にするつもりで書いているわけではないが)自分がどのように周囲と密接につながって「今」があるかを認識することは難しく、すべて自分の力でここまできたと思ってしまう。とくに有能と言われている人ほど。大成功した人ほど。

知人が道ばたで偶然何十年ぶりかの友人を見かけていた。
でもその知人はその友人に声をかけるかどうか逡巡していて、それを端で見ていた僕はなんか美しいものを見た気がした。

女の人をおそっている夢を初めて見た。自分が加害者になっていることへの恐怖にも似た後悔とともにある抗し難い性的興奮が朝起きた時にも身体に残っていた。暴力とはなんのためにあるのだろうか。誰のためにか。夢で良かったと心底思った。

宮崎駿の言う「滲み出す」という表現。
アニメーターらしい表現で、とても重要な表現の仕方だと思う。

人の(その精神の)変化というのは、A→Bへと一足飛びに劇的に変わるという場合もあるが、AからBへとじわじわ絵の具が滲み出していくみたいに変わっていっている場合の方が多く、かつ致命的な変化となっているのではなかろうか。まあつまり、変化そのものに無自覚でありながら確実に変化してしまっているみたいな。

自分がいい方へだけ変化していると思うのは、甘すぎる思い込みだ。変化に良いも悪いもないか。

「宮崎駿の思考過程」3巻目に突入。


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