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2009.06.12
ネイチャージモン

ダチョウ倶楽部に寺門ジモンという芸人がいる。とくに面白くもなく、3人の中でも影が薄く、失礼だが落ち目のお笑い芸人ということにあなるだろう。
林野庁の主催する林業ガイダンスで看板キャラクターになっており、大阪で彼の生トークを聴いたことがあるが、たいしておもしろくなかった(笑)。なぜ彼が林業理解を普及啓発するポジションに就いているのかというと、彼はオオクワガタをとるために山に籠もったりすることがあり山に精通しているというのだ。そのキャラクターは「ネイチャージモン」といい、ダチョウ倶楽部の活動とは全くかけはなれている。その出発点となった番組「やりすぎコージー」4巻をDVDでレンタルして見る。
これがこれが、凄まじく、数年前の自分なら全く理解できていなかった「自然とはなにか」という問いをズバズバ明快に答えていて、感動を越えてシビレまくった。おもしろすぎる!
われわれは「生きる」にあたってルールをつくっている。いろんなレベルで。言語もそうだし、制度も法律もスポーツも、社会も会社も「人間」が各々の了解において好むと好まざると関わらず、これらのルールにのっとらざるを得ない。
しかし、それはどこまでもカッコつきにすぎない。森で熊に遭遇すれば、人間ルールは消滅する。もっともっと豊饒な熊(自然)のルール(?)、熊の記号圏に従わなければ生き残れない。その本質をネイチャージモンはズバズバ明快に話していて、正直ビビッた。(結婚生活や子育て、噴出する犯罪、芸術などはこの人間圏と自然圏をたえず往復する営為で、だから苦しいのだが。。自殺が問題なのはその系が人間圏に属するからなのではないか。解決可能な問題が放置されているからではないのか)
僕はこういう人間を「達人」や「匠」「超人」と呼びたい。人間の記号圏(ルール)からできるだけフリーでいられる人。しかし往々にしてそのような超人は話すことが下手なのだ。当然人間の記号圏から遠く離れているから。でも彼はお笑い芸人という職能をもって喋ることができる。貧しい「人間」と豊かな「自然」の記号圏を自在に往復し、かつそれを解説することができるミーディアム。これは本当に奇跡的なことなのだ。
このブログでも終始一貫して語りたいのは、そういう事だ。
庭に植えた茄子の苗に花が咲く。ネイチャーな紫の色彩に胸を衝かれる。しかしこれは自然か人間の域か?
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