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2010.04.18 迷える能力
昔ばなしの家


あらゆる修飾が看板にかかってくる。
たとえどんなに古くなって崩壊しかかろうとも、掲げられている限り、それはそこの場の時間とか空間を統合する役目を果たす。看板は看板にすぎないが。

タワレコに行ったら、Nujabes追悼のコーナーができていて死んだことを知った。
たましいの露呈した音楽たちをありがとう。
Luv(sic)part2




やっと「ポニョはこうして生まれた」第1巻を見終わる。
一気に見終わるのが惜しくて、噛みしめるように少しずつ。



以下引用メモ。走り書き

「海は平らじゃないんだということをきっちり表現できれば、埋め立てにくいという感覚が育つ」

「いままでの撮影で放棄してきたものをやっていく」

「災害が起こると、みな声が弾みだす」

「宗介は約束を守りたい男の子なんです」

「興奮は全然しない。辛いんですよ、要するに」

「手の癖に逆らって描きなさい」

「具体的にはわからないんです。描くまでは“ほがらか”は存在しないんです。自分の“ほがらか”を見つけるんです」

「不安や孤独というのが合言葉の現代。簡単な時代。善意の安売り」

「魂の問題に触れる」

「途方に暮れる」

「出がらし状態でも考える」

「線にひっかかりを与える。違和感が大事。もっと曖昧な領域を狙う。線がスーといくのを抑える」

「目覚めた瞬間が一番能力が高い」

「ポニョは家出したお姫様」

「いまの時代は消費、消費の時代。みすみす消費されてしまうものはつくらない」

「車のクラクションを角の立たない音にする」

「人間の世界から始まらない映画」

「あー、映画づくりが始まっちゃった…」

「あとから自分のやりたいことが分かる」

「恐怖ですよ」

「おれの意識の外の領域で大事な事が決まっていく」

「まだどっちでもいけるという段階」

「まるで義務のように弁当を食べているおれ」

「面白そうじゃん、と思ってくれるかどうか重要」


凄すぎるぉ!
割と大きめの画面で見ているせいか、何時間も見ていると白ひげのおじさん(宮崎駿)と暮らしている感覚になる。


僕は学生時代は三鷹にずっと住んでいたので、随所に出てくるスタジオジブリ周辺の武蔵野の風景にはとても親近感があって、5月の嵐とか湿っぽさとか、新緑のきらめきとか、見覚えのある空気が皮膚感覚で強く想起されて、そういった個人的な意味でも深いものが迫ってきて、簡単に咀嚼ができない。疲れた誰かが勝手に休んでくれるためにアトリエの前にベンチを出している風景はほんと素晴らしい。

とにかくとにかく、偉大な魂とは踏みとどまる事の、あるいは迷い悩んで逡巡する事のできる能力なのだと思った。頭から煙を出せ。迷いがないものは勢いはあるけど詰まらない。

簡単には結論を出さず、迷って迷って、背負い続けて、たとえぐるりと一周して元に戻っても、それは全然ちがう風景で、映画美学校時代、高橋洋さんが「迷った足跡はその映画を太くする」みたいなことを言った言葉を思い出しながら、第2巻に進む。



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