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2010.04.11
酔狂

京都の看板屋の看板。
装飾を削ぎ落としたなかに確かな迫力がありました。
平気で創業ン百年いくのでしょう。

酔うと頭がしびれて、自己と他者(物もふくめた)の間に引かれた線が曖昧にぼやけてくる。
そういう状態を一面から見れば気が大きくなっている、というようにも見える。
泥酔状態にでもなれば、コンクリート壁にむかって話しかけることもあるだろう。
理性を行使すれば、自己規定の幅はどんどん狭くなって、息苦しくなる。
最後には他者(物もふくめた)への無関心の深淵が待っている。
酔っていることの心地よさはやはり自己の拡大感(自己の消滅?いやどちらでも同じ)にある。
コンクリートの壁だって、きっと私なのだ。
酔ってるからこそ真実が露呈しやすい。
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