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2010.03.08
my life is in your hands

死者たち。
死んだ者の影。そして声。
生ける者よりも、私を強く動かす死者たち。
おはんらにやった命
この感覚って、外国の人はどう思うのだろうか。
幕末の志士たちの人生が現代人の心を打つのは、多くの人間が若くして死んでいるからである。みな無形の志のために死んでいっているからである。お金儲けとかに命は懸けられない。命を懸けられる対象があり、それに命を懸けたのである。
生き残った者は失命までした他者のその志をまた自身も失命してまで引き継ぐ。こういった情念と呼んでもいい連鎖が幕府側であれ倒幕派であれ勤王派であれ、思想云々に関わりなく多くの日本人がなぜかあの時期に奇跡的に共有していた生の形式である。人が死にすぎていると思うが、それゆえ革命の重さ、あるいは国家としての青春のみずみずしさが溢れていることに感動を禁じ得ない。
龍馬伝にしても龍馬がやがて暗殺されることが歴史的に自明であることが、かれのキャラクターをひと際美しく輝けるものとしている。やがて死すべき運命。(わたしもあなたもだが)まあこの時代まともに晩年まで生きた者の方が少ないけど。
こういった個人的な欲得を越えたところでの晴れやかな生は現代では得難い。ましてや明日の国家をわたしがつくっているなどとは夢にも思わない。大久保は個人の資産を使って自腹をきって近代国家としての「日本」を運営していた。大久保が殺された後は彼は国のために多くの借金をしていたことがわかった。国より個人の方が大きかったと言える。
そういった時代が幸福かどうかはわからない。
公への情念や使命は政治的にも利用されやすい。
ただ人は個を越えたところに感動する。
自分の命をどう燃やして使うか。
誰に捧げるか。何に捧げるか。
月照さんのお墓を鹿児島で見たら西郷さんとの関係に思いがとび、こんなことを書きたくなりました。
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