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2010.02.20
所作のデザイン

おいしい紅茶をいただく。
カップとソーサーのデザインに眼がいく。
把手は「熱くなく/カップを/手で/口まで/もっていく」という機能が無事に完遂されればどのようなデザインであってもよい。それは半分社会の側が要請している「制度」でもある。そこにデザイナーの「自由」「創造」こういってよければ戦いの場の範囲が限定される。カップの中空の穴(くぼみ?)も液体がこぼれない設計であればよい。ソーサーとはなんだろうか。カップとどのような関係を結んでいるのだろうか。ミルクやシュガーのゴミを置く場か。ソーサーにこぼれたコーヒーを飲むことがためらわれるというのは、すでにカップの外の概念として捉えられているからだろうか。
思いの外、この把手はもちやすく、肩の力を抜けさせてくれる。もつというより、つかむという行為にいつの間にか転換している。
このカップとソーサーはデート向きではなかろう。非対称でオーガニックなラインはもっとくだけた、開放的な野外なんかで粗雑に扱われてがぶがぶ飲まれてもいいかもしれない。唇が触れる縁の厚みがそれを語っている。激しい所作をこのソーサーはいつも受け止めるものであってほしい。
デザインにはいろんなものが含まれている。
果たされる所作まで含めて未来につねに向かっている。
そして生活を変えていく。
デザインは社会を少しでも良くする事に関わっていると思うし、そうであってほしい。
それは政治や宗教では決してできない。
そんなことを考えた、思いがけなく快晴の土曜日。
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