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2010.02.17
内なる帝国
亀が車の流れをぬって道路を歩いていた。持って、近くの池に返した。
今朝方、見て感動した光景が、別の人のブログの写真として載っていたシンクロ。
話していて、ああこの人は心がきれいな人だなあと思える瞬間が不意に訪れることがある。
それはなにか、そのひとの内側にある子ども時分の感覚とか素の感じとかが不意に露呈してしまった瞬間に立ち会えたこと。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた都会の朝の電車。アウシュビッツの光景をいつも想起せずにはいられなかった。
少し遅い時間に通勤ピークの時間を過ぎて家を出ると、電車には人はまばらで座ることができて、つまり人と人の間に隙間や空間があって、窓の景色がよく見えて、朝の光が床まで届いて、光で車内が貫かれていて、このいま同じ電車に乗っているみんなは同根同士じゃないかと、根拠はないがしかし押しとどめる事のできない力強さで感じてしまって泣きそうになった。
このみんな同根じゃないかという感覚は不意にわたしを襲うことがあって、この前も疲れて帰った夜に大きな交差点の信号機で知らないもの同士横一列に並んで青信号を待っていたときにも、ここに並んでるみんな同じだろと強い感情がせりあがってきたのだった。
朝のひかりとか夕焼けのどうしようない永遠性を見ると、光は贈り物、贈与のものだと実感することがある。宗教的感情と詩情のあいだ。
二重まぶたにもいろんな種類があるように思える。ぎょろっとしていたり、眼力が強かったり、バター系だったり。二重でありながら目元が涼しい人が好きなのだった。ほんとに涼しく感じるのでした。
今朝方、見て感動した光景が、別の人のブログの写真として載っていたシンクロ。
話していて、ああこの人は心がきれいな人だなあと思える瞬間が不意に訪れることがある。
それはなにか、そのひとの内側にある子ども時分の感覚とか素の感じとかが不意に露呈してしまった瞬間に立ち会えたこと。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた都会の朝の電車。アウシュビッツの光景をいつも想起せずにはいられなかった。
少し遅い時間に通勤ピークの時間を過ぎて家を出ると、電車には人はまばらで座ることができて、つまり人と人の間に隙間や空間があって、窓の景色がよく見えて、朝の光が床まで届いて、光で車内が貫かれていて、このいま同じ電車に乗っているみんなは同根同士じゃないかと、根拠はないがしかし押しとどめる事のできない力強さで感じてしまって泣きそうになった。
このみんな同根じゃないかという感覚は不意にわたしを襲うことがあって、この前も疲れて帰った夜に大きな交差点の信号機で知らないもの同士横一列に並んで青信号を待っていたときにも、ここに並んでるみんな同じだろと強い感情がせりあがってきたのだった。
朝のひかりとか夕焼けのどうしようない永遠性を見ると、光は贈り物、贈与のものだと実感することがある。宗教的感情と詩情のあいだ。
二重まぶたにもいろんな種類があるように思える。ぎょろっとしていたり、眼力が強かったり、バター系だったり。二重でありながら目元が涼しい人が好きなのだった。ほんとに涼しく感じるのでした。
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