| Home |
2010.02.12
gift

昨日少し記した〈体癖〉については野口氏の人間洞察の凄さに驚かされます。肩が発達していて逆三角形の体型の人間は殉教者的精神をもっているとか、11種の人間は欲や執着心がなく、努力ができない。予知能力がある。とか、特性の違う要素が横断されて身体と結びついているところがビビります。それは占い的分類とは異質の端的な事実性を突きつけられている凄みがあります。
ここ最近は「贈与」ということについて考えています。
年始に贈与についてあれこれ書きたいと思っていたのですが、うまくノレずにそのままでした。
僕は小さい頃からプレゼントすることが好きな人間でした。
それは「物」のプレゼントではありません。
なにか自分がやることによって贈られるものです。
たとえば、昔はデパートの一角に手品師がいました。その手品師は手品の道具をうまく使って手品をして、皆を驚かせ、その手品の商品を買っていただくというものです。小さい頃の僕はずっとその手品を見ていました。通常はただ見て楽しんで終わりなのかもしれませんが、自分の場合は自分が手品をやって皆を楽しませたいとすぐに意識がプレゼントする側にまわるのです。手品用品はかなり持っていました。小2とかで。
映画を見ても音楽を聴いても、ただそれを純粋に受け手となって楽しむことができなくて、自分も映画をつくりたいとか即考えてしまうのです。サッカーの試合なんか見ても、自分が試合に出たいと即思ってしまうのです。自分が感動の送り手になりたいともう全身で思ってしまうのです。だからとても移り気です。飛びつきます。(逆にプレゼントされることはすごく苦手でした。)
そんな個人的な特性はさておき、「贈与」というものが開く世界の広がりをこれから間歇的に考えていきたい。
インターネットの世界はとても「贈与」に似ている。まあプロバイダー契約とかしてお金は払っているものの、個人のレベルにおいては無償でなにかが贈られ、なにかを贈り返そうとしている。このブログでも完全にそうした贈与の感覚がじぶんの中にはある。日々のコメントにしても、読み読まれるという関係にしても。
(いつの日にか続きます)
| Home |