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2010.02.01
月面宙返り

月がとてつもなく大きく見えた。
古代の人はこういう月を忌まわしきものとして見ていた。
わたしもそれは“よきもの”には見えず、むしろ不吉な予兆としてしか見えない。
人を不安にさせる感覚は、古代人のそれと同じ。
いやそれは月の位置が低いから他の山や建物と比較されて単に大きく見えるだけだという反証はできても、心理的な不安が解消されることはない。反証できなかっただろう古代の人はその不吉さを直に受けていたのだろうか。いやわたしなんかよりずっとスマートに反証していたのかもしれない。
加藤被告の秋葉の殺傷事件については既にいろいろ語られていることだろうけど、ぼくの中で怖いのは、ある種誰でももちえている屈折や鬱憤、あるいは恨みというものがとてつもなく凡庸であるのにも関わらず、つまり誰もが、誰もがとは言えないにしても、けっこう多くの人がもっている負の蓄積から、あのような大きな殺戮の行為にまで結びついたことの飛躍が恐ろしくて、それはかつての永山則夫や金嬉老における「必然」的な結末への「納得」からはほど遠い。
90年代から2000年頃は社会でも映画でも「動機」のよくわからなさがひとつの主題となっていたけど、いまは動機は凡庸なほど明快でありつつも、結末のあまりの悲惨さと結びつかないことの飛躍を考える必要がある。
おまえはもっと絶望できる。と語ったのはドストエフスキーだったか。
じぶんの苦悩は凡庸である。それって普通って、誰か言ってやるか、じぶんで気づくか。
絶望はおいしくないと決まっているわけではない。
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