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2010.01.29
賢者の石

ぼくの勤めている会社の給料はいまどき珍しく手渡しでなされる。
現金を社長から直接渡される儀式が存在する。
通帳に支払われた給与の数字がポンと増えるのと、生の札束をポンと渡されるのでは体験がまるで違う。自分のひと月の汗やら苦悩やらが実際のモノとして目の前に具現化されていることは身体性を伴っている。重さだったり、紙幣の匂いだったり。毎年12月の給与はすべて新券、つまりピン札を渡される。それをもって新年を迎えるわけだ。
口座振り込みで数字が変わるデジタルの経験と厚みのあるアナログとの体験の差。
お金には良かれ悪しかれ、ある種の力が宿っていることを現金を見るとよくわかる。
それはどこまでもただの紙でありつつ、ただの紙ではない。
子どもの頃見た忘れ得ぬ「ギャートルズ」という原始人たちが活躍するアニメには大きな大きな石の貨幣が出てくる。それを使うために彼らは売買する場所へとそれをしんどそうに転がしながら運んでいた。それ自体が労働となっていた。
もう既にお金が紙になっている時点で多くのものを失っているのかもしれない。
手渡しで渡される給料はとても重い。残念ながら多くもらっているという意味ではなくて。存在としてとてつもなく重い。こういう体験はお金の見方を変えてくれた。
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