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自由、夜


夜、会社から出たら外がなまぬくかった。夜は昼より寒いはずという経験知による身体的予測を外して、脳よりも身体のほうがまず戸惑っていた。


「24」みたいな一度見ると次々何巻も見たくなる系のDVDがレンタル屋に行くとたくさん並んでいる。ぼくも「24」シリーズにはまっていたことがあったけど、なにかああいうのにはまっているのは人生を「消費」している感がとてもしてしまって以後見ることがなくなった。

人間はある決まった間隔の定められた時間を生きていて、まあそれをどのように使おうとも勝手で自由なのだが、やっぱり消費というか浪費はしたくないよなという思いがあって、24とかを見ることは時間の浪費にちかい感じがあって、それはじぶんにとって、時間を無駄に過ごすことよりもさらに下位のものなのだった。
 
それは映画やドラマにおける物語とはなんだということとも関わっている。ああいう系のドラマはどこまでも消費されるための物語、ジェットコースターに似た、ある速度を味わうためだけの物語で、そのへんの薄ら寒さがどうにも耐え難いというのか怖いのだけど、あいかわらずそういった系のDVDは量産されていて、そし て多く支持されている。

じぶんはできれば同じ時間を生きるにしても楽しく生きたいと思っているけれど。

スポーツでは、試合の組み合わせの関係で消化試合というものが発生することがある。まあ無理して勝たなくてもいい試合というやつだ。だいたい主力を温存させてサブのメンバーが出たりするのだけど、こういった消化試合的姿勢、消化試合的生き方と24とかを見て時間を浪費していることが唐突な連関に感じるかもしれないが、じぶんにはとても似たものとしてある。

 
24のなんのシーズンだったか忘れたけど、母親が殺されるシーンがあった。監督はもうひとつ母親は死んでなかったシーンも撮っていた。人の死がドラマの興奮に従属する機能として扱われていたことに、とても驚いた。
 
ヌーヴェルヴァーグはなんだったのだろうか。

 
物語は取り返しのつかないもの。人生がそうであるように。


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