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2009.05.31
暗闇の思想

京都を訪れていて感心することが多々あるが、ひとつに闇の領域がきちんと闇として保存されているというか守られている。
町屋の入り口が狭く、奥に通じる通路はうっすらと暗く打ち水がしてあったり、神社も鬱蒼たる鎮守の森で薄暗い。古い家は照明は最小限度でこれもまた薄暗い。
近代は暗さを駆逐してきた時代ともいえる。東京で闇を見つけるのは難しい。明々とあることが文明の繁栄の証であるし、なによりも防犯に寄与するところが大きいのだろうが、逆に災害でこの明るさが失われれば、たがが外れて無法になるということか。
人格でも「明るい」ことが良きこととされるが、暗い人間は排除されなければならないのか。
子供が押入や土間などの暗闇から生じるイマジネーションは計り知れないが、現代住居にはそのようなポイントはない。
夜の山中を歩いた時、自分の手のひらも見えないほどの闇に包まれ正直怖ったが、これこそが本物の夜なんだと思った。必要な体験だとも思った。
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