| Home |
2010.01.10
声と物語
じぶんの父の系譜の親兄弟たちはみなほとんどが40代で死んでいて、父はそれゆえ自身の寿命はきっと40代で終わると子どもの頃から思っていたそうだ。いまは60ちかいけど、そんな年まで生きるとは思ってなかったそうだ。
そんな短命の家系なのだけど、ひとり80過ぎの天寿まで生きれた父の父さんの兄がいて、彼は若い頃、親戚筋の女性にひとり呼ばれて、「あなたは長生きするけど、ほかの兄妹はそうではない」と言われて、その話を会うたびに父にしたそうだ。
中上健次の小説をはじめて読んだときは、その土俗的な世界がとても懐かしいものとしてうつった。中上的な血族血縁関係とか父性や母性、建設業とかやくざや若者の非業の死や精神薄弱、性の世界といったものはひじょうに身近な親しみのある世界だった。父親や母親の昔話を聴くたびに中上を思い出す。
ぼくの父親の父親の父親は交通事故で亡くなっているのだが、その事故死は地元では有名らしく、それは一度トラックに轢かれ、轢いたその砂利業者の社員が青ざめ、社長に電話して報告したら「バックしてひき殺せ」とその社長から命令され、再びその社員から轢かれ、とどめをさされて死んだという。
半身不随で生きながらえてずっとその生涯を保障する金銭を支払うのを嫌がってとのことらしい。たんなる事故として処理したのだろうか。戦後の混乱の時期のことだから、こんなことが平気でまかりとおっていたのかもしれない。人権意識や人の命の大切さなど今とはまるで感覚が違うだろうが。その社長はのちに市議会や県のなんとか会の理事長とかで有名になる人物なのだった。
聴けばこんな話が山ほどある。
あえてこちらから聴かなければ、語られることはない物語たちが山ほどある。
| Home |