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祈り


仕事初めというのは清々しさはあるが、身体はけっこうだるい。
会社総出でちょっと歩いたところにある有名な大きい神社へお参りに行く。
僕は隣の小さな神社でいいと思うのだが。土地の氏神様なわけだし。

やっぱり巫女さんって凛とした感じがいいなあと見ていて思ってしまう。
こういうのが萌えという感情なのかもしれない。コスプレには見えないが。いや見えるが。
バイトの人はその紅白の服装がまだ板についていないから、そう見えるのかも。



いただいたコメントの返信をしていてふと考える。
じぶんが「ためらい」ということに思想的意義を見いだすことと、じぶんが優柔不断なのはきっと大いに関係ある。思想というものをいろんなものの影響を受けつつ、でも最終的には自分の足下から立ち上がってくる(立ち上がらざるをえない)ものだとするならば、それは当然自身の身体やもっと言えば性格とも無縁ではいられないだろうというようなことを考えた。吃音ということをたびたび取り上げて思考していた寺山修司を思い出す。そういうことから考えればみんな思想家なのだろう。そこにはもちろん高尚とか下劣とかもない。身体がそうであるように。

昨日NHKで世界七大陸の最高峰へと挑む若者(栗城さん)の特集をやっていて、彼はその登山での格闘そして喜怒哀楽の感情のすべてを動画としてネットに公開していて、その独りであることの尊さとそこにネットが介在することでの自意識からの不自由さがせめぎあっているようで、もの凄いスケールの話と同時にとてもプライベートなちいさなささやきが同時に混在していて、いろんな意味で感動した。それはドキュメンタリーとも違う手触りなのだった。ネットを介して個と世界との認識について考えるヒントとなるだろう。


それにしても衝撃だったのは、栗城さんがタウラギリという峰上に昇ったときにそこにいきなり登山者の死体が転がっていたことで、この死体にシビれるほどの崇高さを感じてしまった。こんなハードボイルドな崇高な死体を見たことがない!それを尻目に登っていく栗城さんはそれ以上のなにかなのだった。その横たわる死体のショットをここに掲載することもできるが、その崇高さが私にその行為をためらわせた。


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