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高千穂宮の大杉


家の南側の窓辺に立つと思いの外、強い日差しに照らされて、ほかほかしてくる。
外に出ると強い風に晒されるが。



昨日の話のすこしつづき。

昨日行った天岩戸神社には古事記に出てくる天岩戸が実際にあって、そこは禁足地になっており、遥拝という形でしか見ることができない。そして写真撮影も禁止だ。古い神社に行くとそういうところは多々ある。たとえ「写真撮影禁止」と書かれていなくても撮るのにためらってしまうところなどある。また撮ってもブログに安易にアップしていいのかと考えたりすることもある。こういった感覚ってなんなのだろう。単純に言えば「畏れ多い」という感覚なのだけど。でもそれが写真を撮影する、しないといったことに関わるのは、撮るという行為がなにかしら後ろめたい行為となっているからなのだろうか。たとえば、撮ることは盗ることとか、奪うとか、そういった感覚と結びついているのか。だからそれは失礼や不敬に値するのだろうか。

写真が出始めた当初は、撮影は魂を奪われるものと信じていた人たちが多くいた。

撮られた写真は私より長生きするかもしれない。

<それは=かつて=あった>、あるいは「手に負えないもの」である。

いつでも写真は〈永遠〉を写し出せる。つねに若い。

携帯をはじめ、これだけ多く撮影機が世に普及しても、自分が被写体となって自然に撮られることは簡単ではない。

プリクラをしたことがないが、誰もがきれいに写ると聞く。これはどういうことなのか。

撮影というのは「秘密」と結びつきやすい。撮ったものは現像にしろデータにしろ私が管理することになるから。秘密にすることができる権利を撮影者はもっている。消去することも。つまり所有ということになる。天岩戸は個人が所有するものではないということか。



あしたは仕事初め。
ブルーをホワイトに変えねば。。


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