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2009.12.28
ある坂の記憶。

幼稚園は家から少し遠いところに通っていて、父親からいつも車で送ってもらっていたことを思い出す。
その道中には長い長いそして急な勾配の坂があって、車がその時少し大きめのエンジンを鳴らすことや、ちょうどその坂が太陽の運行軌道と向き合う位置にあるのか、つねに眩しい感じがいまでも強く記憶に残っている。
子ども時分にはその眩しさというのは強烈で、親は前がちゃんと見えて運転しているのだろうかと子どもながらにとても心配していた。
きょう仕事で、たまたまその坂を車で通った。
大人になった今でも、その坂は長く長く、勾配は急だと思った。
子ども時分には相当な坂だと映ったことだろう。
そしてきょう運転しながら太陽の眩しさが直接目に強烈に入ってきた時に、なにかこうジーンとくるものがあった。
まあ、地軸がブレるわけはないのだから、数十年経っても太陽の軌道など変わるべくもないのは当たり前だけど、それでもその太陽の眩しさに対して素朴に熱いものを感じてしまった。
それは懐かしさとはまた違う、時間の厚みというか、変わっていったものと変わっていないものとの出会いというか、なにかいろんなものが圧縮されて、かつ同時にその坂で解凍されてしまったような衝撃。そう、これは衝撃だ。
この坂は誰のものでもありながら、わたしだけのものでもある。そしてそれはまた誰かのものでもある。そういうのを物語と呼ぶのだろうか。
はじめになにがあって、いまはなにがあって、なにがなくてとか、どのように思い出せたり、想像したりできるのだろうか。そしてどこにむかおうとしているのか。どこからきて。
手紙
***
きょうは仕事納めという方も多かったのでは。
じぶんもそうでした。まだやるべき仕事は残ってたけど、無理矢理強制終了。
おつかれさまでした。
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