fc2ブログ
2009.12.15 冬の筆蝕

夏の場合、おふろは汗を流しに入るという感じだけど、冬はあったまりに入るという感じ。
今週は九州でも雪がちらほらと降るとの予報が。積もるくらい降ってほしいが。
雪の世界は静寂だから。あれは積もった雪が音を吸収するからなのだろうか。すべての音が小さく感じる。


子供のころ書道を習っていたせいか(自発的に小1の自分は書道がやりたいのだと親に訴えたという)長いこと書の世界に関心があって、書家の石川九楊氏の本とかよく読むのだけど(去年京都でたまたま文化博物館で休んでいたら石川九楊さんがちょうどそこで講演をしていた!)彼の本に『縦に書け!』というのがあって副題は「横書きが日本人を壊している」というもので、このブログも横書きだし、仕事の書類やメモなんかもほとんど横書きで、縦書きの機会というのが圧倒的に失われているけど、小説や思想書などはやはり縦書きで読みたいし、読みやすい。


「書く」ことは筆記具の先端(たとえばペンの先)と対象世界(たとえば紙)との間で繰り広げられる力のやりとりのドラマであり、それを「筆蝕」と呼びます。p59

縦書きが天からの重力を受けとめ、その重さと力を意識しながら、ときにはそれに乗ったり、あるいは持ちこたえたりしながら書き進んでいく、つまり社会や環境と対話せざるをえないことの結果であり p162


年賀状の表書きも今ではほとんど横書きが多いけど、ずっとそれに違和感をもっていて、この本を読んで納得する。なんとかバランスよく縦で書きたいところ。




不本意な形で決別してしまった幾人かの友人に勇気を出して年賀状を出そうかと思っていて、ひとはつねにベストな選択というものはできず、よかれと思ってやったことでもいい結果とならなかったり、誤解や思い過ごしなどですれ違い、でもまたその時に戻ってもそれを選択するだろう愚をつねにはらみながら、そういう総体がいまのじぶんである。5,6年ぶりくらいで唐突に年賀状など送りつけるのは暴挙だろうし迷惑だろうし無視されるだろうし、そこにはもう住んでいない可能性大だけど、ここは通過せねばならないように思える。仕事の休憩中にふっと思い出されたり、なんにも考えていないときにこそ頭をめぐってきたり夢に出てきたりして苦しくなったりで片時も忘れたことはなく、なんとか正面から対峙しないといけないことだと思うのだった。悪意をもって人を傷つけることはあったとしてもそれは充分意識的であるから負い目や後悔も回収できるけど、そうせざるを得なかったり、それが最上最善の選択だと確信してやった行為こそが、人を傷つけたり、信頼を損ねたりする原因になる場合が多いのも真実で、そうなると自分の知らないところで自分の鉄砲が暴発して仲間を背中から撃つことにもなる。そういうのをずっと背負っていかなくてはいけない。その苦しさから逃れたいだけなのだろうか。


Secret

TrackBackURL
→http://1000plateaux.blog40.fc2.com/tb.php/330-5f598279