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nobiagaru kumo


10代の終わりの予備校生時代に上京して新聞配達をしていた。新聞奨学生というやつだ。いまの時期には各家の玄関にクリスマスリースが飾られてあったりする。あの葉っぱとか枝とかを細工して輪っかにしたやつ。新聞は玄関ドアに空けられた新聞受けに入れることが多く、寒い冬のまだ明けきれぬ薄暗い3時とか4時とかの早朝にその玄関のドアに飾られたクリスマスリースを見ると、その奥にある暖かい家庭や家族の空間が想起されて、胸がぎゅっと締め付けられて、寂しさや悲しさが入り混じる言葉にならない思いがいつも巻き起こっていた。いま考えるとホームシックのような郷愁の感情がそのクリスマスリースを見る事によって、たいそう刺激されていたのだと思う。寮に帰って、同い年の男たちにそのクリスマスリースについて話すと、みんな「あれムカツクよなあ」とそれぞれの方言で語るのだった。その玄関ドアの向こうにも「家族」ということの困難性や問題があるなど、思いもしなかった素朴な若者だった。


話はすこしそれるが、いやそれないが、クリスマスやバレタインといった特定の日にひとりでいると同調圧力の強いこの国ではさびしさを強制的に感じることがあるが、「さびしい」と思っているのは本当に自分なのだろうかと思う。あきらかに「さびしい」と思わされているのではないか。特定のイベント、行事によって消費活動が刺激される。ホテルとか外食産業とかが得をする。「さびしい」という感情が利用されている。

高度消費社会とか呼ばれるこの社会では自分の生の欲望に向き合うことが難しくなる。喜怒哀楽でさえも自分のものなのかと考えることがある。巧妙に利用されている。欲望を消費に向かうように延々と刺激され続け、勝手に人生を色づけされ、いつの間にか骨抜きにされている。


自分の人生、自分が王であるが、それは簡単なことではない。
誰の奴隷にもならないことは、正直シンドいことなのだ。
Live your life.


あ、あ、そうだ。
おれは誰の奴隷にはならないと、20代のはじめにじぶんに誓ったことを、これを書いていて思い出した。
大事な事を忘れていた。


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