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2009.12.12
そういった場に完璧なタイミングで立ち会うこと

会社には記録用に十数年前のカメラから1,000万画素を越える最新のカメラまで何台か用意されてあるのだけど、昔のカメラほど仕上がった写真に艶があるというか、感じがいいが最新のやつはどうも仕上がりが汚くてひどいなあと思っていたら、「デジカメに1000万画素はいらない」という本が出ていて、画素数を競って開発し消費者もそこを基準に選んでいく「高画素信仰」に警鐘を鳴らしている。
いま自分が個人で使って、このブログやもう一つの写真ブログの「雲から抵抗へ」で掲載している写真はCANON IXY DIGITAL50というもう5年以上も前のもので画素数もたしか400万くらいしかないのだけど、最近の1000万画素を越えるカメラよりはるかに艶のあるものが出来上がっているように思える。でももう5年以上も使っているといろんな不具合が生じシャッターボタンなんかもまともに作動しないことも多くて買い替えの時期がとっくにきている。
会社でカメラを使うときは忘れないためのメモ書きのような感じで撮影するのだけど、そのときの態度とブログで多くの人に見せる写真を撮影するときの態度はぜんぜん違う。前者には自分以外のものの対象と向き合っている意識や緊張感はない。驚きもないし、よろこびもないが、後者は撮りたいと思える場面に出くわしたことのよろこびや真剣さで満ちている。そのときには何か、世界にたいして自分が単独で向き合っていることの端的さに身震いさえするとともに、あとから深いよろこびが訪れるのだった。
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