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2009.12.07
文房具を買いに

きのうは来年の手帳を買いに出かける。
できればいつも近くの小さい地場の本屋さんなんかで買いたいのだけど、品数が少なくていいものがなく、仕方なく大手資本のLoftとかジュンク堂に出かけてしまう。
手帳はたくさん種類があるが、やっぱり使い慣れたメーカーのものでないと違和感がある。システム手帳とか面倒くさいこと山の如し。
デルフォニックス社製のものは、とにかく日にちごとに文字を多く書き込め簡潔なところが気に入っていてずっとこのメーカーのものを使用している。
自分のカメラは色の再現能力が乏しく実際はもっと深い群青色というのかフェルメールの真珠の耳飾りの少女の巻いていたターバンの色のようでぱっと目をひいて、これにした。
文具への愛というのが小学校時代からある。
文房具売り場のノートとか鉛筆とかペンとかを見るだけでうきうきして高なるものがある。
その至上のものは万年筆だと思うが、まだ手を出していない。
鉛筆にしろボールペンにしろ、用の美というのか無駄のないデザインに心奪われる。
新しいノートを買えば、新しいなにかが始まるような高揚感がある。
なにも始まらなくても、なにかが刷新されたような気持ちにはなれる。
小学校の頃は近所に小さい文房具屋さんがあって、そこの店は子どもの自分にとって宝箱のような店だった。
けれど来店するたびに、奥からおばちゃんが出てきて、なにか買わなければいけないというプレッシャーが襲い、ほんとはずっと見ていたいのに、そのプレッシャーが嫌で店を出たりした。ただ見たいだけで、買う気も買うお金もなかった。
考えた子ども時分の自分は、とにかく買う姿勢を見せればいいと思い、絶対ありえないような文房具を考え、それがないか尋ねて何かを買いに来ているふりをして、いろんな文房具を見ていた。今でこそ開発されているかもしれないが、紫色のボールペンとか、肉の匂いのする香り玉とか、マジックが消せる消しゴムとか置いてないか、途方もないことを言っていた。
あるとき、振ると芯が出るシャーペンはないかと尋ねたらほんとにあってびびった。結構高価だったけどしぶしぶ買って学校で使っていたら、クラスのほとんどの人が買って使うようになった。あれは当時革命的なシャーペンだったなあ。
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