fc2ブログ
2009.11.29 影たち

仕事である小学校を訪れたら、教室の壁にみんなの今学年の目標が掲げられていて、ある男の子が目標を「六年生になったから、すべてに責任をもつ」と書いてあった。とても重い言葉。

銀杏の樹がたくさん立っている近所の公園は、銀杏の黄色い落ち葉で地面が埋め尽くされていて壮観な眺めなのだけど、それを今日おばちゃんが竹ぼうきではわいているのをずっと見ていた。すこし離れたところから見ていたら、銀杏の落ち葉をはわいているというより、もっと抽象的な黄色の固まりをかき集めているみたいで、その黄色の固まりとおばちゃんが遊んでいるようにも見えて、おばちゃんが大量の黄色い銀杏の葉と必死に格闘すればするほど、黄色い固まりが宙を舞い、ふたたび地面に落ち、この光景はどこかで見覚えがあるなあと考えていたら、芸術家が大きなキャンバスに描くアクションペインティングだった。

 
落ち葉というのはごみのように思われているが、あれは自己施肥系といって、落ち葉や枝そのものに高い栄養があって自分で自分に栄養を与える自己完結のシステムを落葉樹は採っているのだけど、コンクリートや下草があまり生えていなければ、風ですぐに吹き飛んでしまい、ましてや掃除して片付けてしまうとそのシステムを壊してしまう。落ち葉がふかふかしている森や林は真に豊かだと言えるが、そんな森は日本ではもう少なくなってしまっている。

ボクシングは決定的に相手と向き合うスポーツではあるけど、でも練習も含めてお互いに見ているのは別のもののような気がする。見ているのは自分自身と言ってしまえば陳腐だけど、幻影というか幻影ゆえに自分を支配する強いもの、それにむかって拳をふるう。そんなシンプルな、シンプルであるがゆえに厳しいぎりぎりの世界とコンタクトする。痛みとともに。そしておそらく試合が終了して勝負が決まりお互いハグした時にはじめて対戦相手と出会うことになる。練習でも試合でもシャドーなものなのだ、ボクシングは。

Secret

TrackBackURL
→http://1000plateaux.blog40.fc2.com/tb.php/311-9bc2688c