| Home |
2009.11.28
Bae Doo-na

普段より1時間早く家に帰れるだけで、けっこういろんなことができるし、疲労の回復も早いことに気づく。
映画「空気人形」は男性が疑似性交として使う性具のダッチワイフが主人公である。(ピノキオ譚の系譜)映画で使われるダッチワイフの顔が演出上ペ・ドゥナに似せられて作られていて、この時点で物そのものがもつ残酷さや怖さといったものが消されてしまっていて、冒頭からがっかりしてしまった。事実、新しく買い替えられた(無名の!)ダッチワイフの方が圧倒的に素晴らしかった。着想はいいのに、とにかく残念な点が多い映画。もったいない。小津は映画は人間さえきちんと描けていればそれでいいんだと語っていたが、きちんととは、作者の都合ではなく生きられるものとして、その世界のなかで生きたものとしてきちんと表現しえたということで、この映画では誰もが皆作者の都合で描かれていて、「過食症」とか「都会の孤独な人間」とか、みな記号以上の存在では描かれていなくて、嘘くさい。だからいろんな演出の仕掛けが全然効いていなくて、だからいろんなものが噛み合っていない。それが狙いでもないようだし。
この映画を見ながら、ぼくはこの映画以外のことを考えていた。
それは映し出されていた東京の風景についてである。
ぼくは東京の風景でいくつか好きな場所があるけど、個人的に湾岸エリアというか、特に羽田空港を利用する際のモノレールから見える湾岸の風景が胸がぎゅうっ(キュン?)となるくらい好きで、上京帰郷する際に使っていたということもあって、ここからの風景はああ、東京だ、と深く実感させるものがある。この映画ではお台場のゆりかもめの風景が出ていたような。
この映画ではロングショット気味の人と風景というショットと風景のみのショットがたびたび挟まれている。まあ、都市や孤絶する都会人という記号以上のものにはなり得てないけど、風景のみの場合その東京性みたいなものは薄まって、アジアのどこかの一都市みたいに見えるのだけど、その風景に人が入るとパッとショットが「東京」になることに気づいて驚いた。あたりまえのことを書いているのだろうか。自然の風景は自然のみで屹立しているけど、都市は人がいることではじめて固有の都市として表象可能になるのだろうか、なんてことを考えていた。
収穫はやっぱりペ・ドゥナの才で、ほんとに空気のようにからっぽに見えた。彼女はまだまだこんなものではないだろう。
まだ観てないけど、マイケルジャクソンの映画「THIS IS IT」の評判がとてもいいみたい。ある女の人は最高だったセックスの記憶を思い出したくらい観ていて幸福感に包まれたと書いていた。。絶対観てぇ。
| Home |