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トラウマという言葉はすっかり流通して簡単に使われるようになった。

トラウマとは語義的には実際には経験したはずなのだが、それを言語化して、自己史の正史に登録することができないでいる経験のこと、という内田樹氏の精確な説明。

自己史の正史に登録できない経験。

たしかに正史というものがあり、またそこにどうしても登録できない、登録が許されない経験というものがあり、むしろわれわれはその正史から外されたものに呪縛され、翻弄され、堂々巡りをしている、そんなふうに人間は生きているし、まさに正史以外のものが「私」というものの根っこを形成しているのであり、負こそ が自己を強く規定している。

こうも言ってよければ、短所こそじぶんの本質、真にオリジナルななにかなのだ。短所を伸ばせ。しかしもしトラウマを正面から引き受け、自己史の正史に登録することができたら、それは成熟ということに繋がるのだろう。いや成熟どころか、ひとつの自己史の消滅なのかもしれない。トラウマという外部によって、たえ ず正史の存在が保証、保護されている。沖縄から米軍が撤退したときに沖縄は消滅する。少なくとも戦後の沖縄は消える。目に砂粒が入り続ければ、見えることを見ようとするだろう。

わたしはトラウマを必要としているのかもしれない。トラウマがわたし語りを強制する。
追う刑事がふと抱く犯罪者への愛。

でも本当は「わたし」が消滅した先の風景が見たくて、見たくて。
たぶん、そっちのほうが豊かだし、なにせ面白いにちがいない。


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