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2009.05.24
ここにあるもの

家の小道を一つ隔てた向こうに住宅街としては割と広めな畑が広がっていて、視野を開放させてくれる。ここの畑を管理するおっちゃんは明るい時間帯はほぼずっと畑にいる。畑というのは普通の会社員にとっての会社であったり、現場であったりするのだろうか。当然そこにいることで様々なことを覚えていき、実務能力を身につけていく。それが単なるルーティーンになってしまえばそれまでだけど。
すぐれた農業家はよーくその育てている野菜や周りの雑草というものを見ている。この見る、観察するという営みこそ農業の仕事ではないのかと思う。すぐれた農業家は見ることによって自然(自分より大きい)と対話する。私の尊敬する農業家のすべては最終的には自然をコントロールすることを放棄し、自然の流れを後押しするという役回りに徹することで一致している。放棄すること。
前の畑で農作業しているおっちゃんを窓越しに見ているのが好きだ。畑でも米づくりでも農作業している人を見ているとなぜだか幸せな気分になる。コンバインなどの機械を使って近代作業をしているの見るのは嫌だが。そこには「自然」の時間に人間が軌を一にしていることの幸福があるのではなかろうか。
今日、自分も砂漠のような庭に茄子を植えてみた。貧困すぎる土なので、どうなるかわからないがまずはやってみる。土いじりをやっているとさまざまな啓示がやってくる。過去や未来、現在がくるくる回転し、今を肯定しようとするヒントが湧いてくる。作家の保坂和志氏が「僕にはネコがいるから大丈夫」と言う態度に等しい。草が風になびき、虫が泳ぐように中空を反転し、土くれが形を変えていく。そこに自分も含めて太陽があたる。これ以上でも以下でもないが、これ以上なにも求めることもない。
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