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crack-up


この前、女性ヴォーカリストHouさんのライブを聴いて、音楽と言語そして永遠について思いが馳せた。
 

言葉はわれわれが生まれるより前に既にあるもので、圧倒的な外部にあるものとして屹立するが、その外部を取り込むことなしに〈わたし〉は存在し得ないし、文字通り語ることはできない。そういった緊迫した関係、体系の網の目にわれわれは投げ込まれている。強制的に。キャベツはキャベツと呼ばれる必然性はない けれど、その必然性のない世界にこそ依存しなければ一瞬で狂気の淵に落としこまれる。
 
でも発狂することなく、あるいは薬物を使わなくても、言語の外に出る、出られる、解放されることはできる。
歌うことや踊ること。小説や詩を書くこと。言葉の力を利用しながら、そのまま言葉の外へ旅立つ。簡単ではないが、可能性は開かれている。案外簡単に。



Houさんの歌。
mcというのか、曲と曲の合間に短いトークがある。沖縄っぽい方言の語り口で。
Houさんは今日の天気のことやこれから歌う曲の由来などを語る。
そのバックでは男性が常にエスニック系の楽器をポロロン、ポロロンと奏でている。
Houさんは語り続けるのだけど、しだいにそのバックの楽器に引っ張られる感じで、
語る言葉の文節の切り方が普通でなくなる

「こ・とばのー、ちか・ら・をーうた・っ・たうたー」

語りながら、いつのまに曲の中に入り、歌が始まっている。
その移行の瞬間というかフレームの切り替わる瞬間にゾクッゾクッとして、しびれてしまった。いつ始まってもいいし、いつ終わってもいい音楽。
それも演出的というより身体の必然性に発せられた、ごく自然ななめらかな移行で、わかりやすく例えるならイタコのようなのりうつられたようなシャーマンのような…。いきなり言葉の外が開示されてしまったような。あっさりと。

だれかに憧れてとか、そういうことではなく、直接的な世界の豊穣さとのアクセス。


ぼくは、とんでもないところに、いつの間にか連れて行かれていた。
どこでもなく、どこでもある。まだ
名はない。



そしてこう記述すること・で、げんごのたいけいに帰還して/る/のかな。


おかえり。


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