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2009.11.08
永遠の背中

自分がチャリで会社に行く時、ほとんど家を出る時間は決まっているから、通り過ぎる高校生や中学生のメンツも決まっていて、顔を覚えてしまう。東京に住んでいた時も朝の通勤で同じ時間同じ車両に乗れば幾人かの顔だけ知っている人ができた。
会社の上司の江藤さん40歳は原付で通勤している。いつも同じ場所同じ時間に僕を追い越していく。
江藤さんはご飯を食べるのが半端なく早くて、幕の内弁当とか1分くらいで食べる。ついでにうんこも1分くらいで済ます。小さいほうか大きいほうかいつもわからない。それはいいとして、毎日同じ場所同じ時間で僕を追い越していくときに、彼の背中を見る。原付独特の速度と軽さで追い越す。風でジャンパーがふくらんでいる江藤さんの背中。それを見るたびに自分は「永遠」とか「日常の荘厳さ」といった抽象的な思考に包まれるのだった。理由はわからないけど。
会社の倉庫には電気で動く小型の自動車というか、チャリンコみたいな乗り物が置いてあって、イベントなんかがある時はそれを出して展示する。子どもなんか喜んで乗りたがる。この前イベントがあって、そのしょぼい電気自動車を出していたのだけど、子どもが食いつかず、ずっと暇をもてあましていた。
そのしょぼい電気自動車の番を江藤さんにしてもらって、ぼくは別会場で講演を聞いていた。
ぼくは講演を聴くのも退屈になって、窓の外の景色を眺めていたら、江藤さんがその電気自動車を夢中で乗り回していたのが見えた。
講演会場からは長い一本道の歩道が見えて、そこを一直線に江藤さんは電気自動車を飛ばしていた。その遠ざかる江藤さんの背中を見て、「永遠や…」と思わずひとりごちてしまった。それは真実にすばらしい背中だった。おれはこの背中を見るために生まれてきたのではなかろうかと思うくらいすばらしかった。
北野武の映画でも大人たちが遊戯にふける名シーンがいくつかあるけど、大人が子どものように遊びにふけるのを見るのは、ほんとに胸がふるえるのだった。
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