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2009.11.04
永遠の相のもとに

クリント・イーストウッドのほとんどの映画には冒頭とラストで印象的な俯瞰ショットがある。それも空撮(ヘリコプター撮影)で次第に上昇していき、それを見上げる俳優がいるという設定で、自分はそのシーンを見るといつも鳥肌が立つくらい感動してしまう。超越性とか神の視点とかつい呼んでしまいたくなる。京都の友人はイーストウッドのヘリコプターのショットはスピノザの語る永遠を思い起こさせると言う。
スピノザの『エチカ』第二部定理四十四
物をある永遠の相のもとに知覚することは理性の本性に属する。
物を偶然としてではなく必然として観想することは理性の本性に属する。
きょう仕事で、工事現場で使うようなゴンドラに乗って高いところに上がった。
物珍しさでか、下で子どもが見上げてゴンドラに乗っている自分を見ていた。
通常エレベーターなどでまっすぐ上昇していく世界の光景というものをぼくは見慣れているけど、ゴンドラのように横滑りしながら上昇していく視界…そう、つまりクリント・イーストウッドの映画のヘリコプター撮影のようなショットを見る機会というのはまずない。
下で男の子が見上げていて、ゴンドラが横移動しながら上昇していくのを僕は見下ろしながら、その世界の光景にイーストウッドを思い出し感動を覚えた。けれど、それも3階くらいの高さまでで4階を超えてくるともう怖くて、8階まで上がったらこの年齢でおしっこを漏らすんじゃないのかと思うくらい恐怖で腰が引けて、泣きそうになった。でも8階の高さの恐怖を体験すると不思議に5階くらいでも怖くなくなる。
うん、そう、ゴンドラが上がって下の子どもを見ていたときに、確かに永遠を知覚したような気になった。瞬間で。永遠は瞬間にしか存在しないのかもしれない。
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