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2009.11.03 冬寂の愛
asa no subete


もちろん生涯はひとつの崩壊の過程であるが(中略)そのうち、四十九歳まであと十年というところで、ぼくは早くも崩壊してしまったのに不意に気がついた。
フィッツジェラルド『崩壊』



冬の乾いた空気。乾いた風。
遠く鶴見岳の山頂には白いものが。
風景の解像度とも言うべきか、とにかく遠くにあるものも鮮明に見えて予想していた遠近法が裏切られる。
やっぱ、冬は音の響き方が違う。勝手に響に情をのせているだけだが、それこそが風景と呼ばれるものの本質ではないか。遠くから聞こえる電車の音は、冬にはとても寂しいものとして聴きとってしまう。


冬は鍋とお風呂あるいは別府か湯布院の温泉。
夏の風呂はシャワーでもいいけど、冬は湯船にゆっくりつかりたくなる。
じぶんは半身浴と呼ばれる湯をたっぷり張らずにみぞおちくらいにして、本を読みながら2,30分ゆっくりつかっている。遠藤さんは60分くらい半身でつかっているらしい。持っている文庫がいつもしなっている。
湯につかって読書のきりのいいところで浴槽から出る。左足からまたいで出る。髪をぬらす。右手でお湯を湯桶ですくってその惰性の力で左手に持ち替え、頭にかける。頭から肩、胸と洗うところが下がっていく。足から洗うと汚いと昔親に言われたのが習慣になっているのか。せっけんを泡立てる際には両手でするので手のひらはあえて洗う必要はない。体は洗っているのか、擦っているのか。なにを落とそうとしているのか。一生洗っていない場所とか意外にあるのかもしれない。あがって拭くときも、頭から下がっていく。同じ理屈か。風呂の入り方がわからなくなる時ってあるのだろうか。みなはどのようにして自転車に乗れるようになり、またそのことを忘れていくのだろうか。こんなことを書いていると湯冷めでもしそうだ。


***
10年ぶりに再会したかのような新しいiMacにひたすら感動している。
昔デザイナーの上司がデザインで悲しさとか喜びとか全部表現できるんだぞっ!て呑みながら吠えていたのを思い出す。デザインって愛なんだって使うほどに分かってくる。10秒くらいの起動時間とか3秒くらいのシャットダウンとか、マニュアル本の薄さとか、DVDのスロットする冗談のような挿入感、キーボードのタッチ感、サイン文字の出方、消え方、アクション音…全部愛だ。




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