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2009.10.28
手帳に書かれたこと02

自分が欲しいものは自分で勝ちとっていくねん。誰が勝ちとってくれるんねん。
生まれつき半身不随で、自由に動くことも流暢に話すこともできない病に苦しむ男性。床に伏して、国や自治体のケアが充分でないことを嘆き悪態をつく彼に、同じ病をもつ仲間がその部屋にやってきて、罵声を浴びせるかのような大声で言ったことば。
自分が欲しいものが、すでに世の中にある人はある意味幸せかもしれない。それは社会との摩擦係数が最小限で済む人生を送り、慣行やシステムに疑念を抱くこともないだろう。みなと同じように感じ、みなと同じように笑い、みなと同じように泣き、みなと同じように死んでいく。
それができなければ、世を恨み続け不平不満の毎日を送るか、社会と格闘して自分が住みよいように変えていくしかない。
(昔、ユキヒロタカハシの服をよく買っていた。自分の体系は痩せ型なので、自分の好きないい感じにフィットするサイズ、パターンの服というのは極めて少ない。デザインというよりサイズで服を選んでいるようなところさえある。自分で着たい服は自分でつくるしかないんだとさえ思った。でもユキヒロタカハシの服は自分の体に合った。高橋幸宏はすごく痩せているから、たぶん自分の体系に合う服をつくっているのではないのかと思った。芸術って、こういうものではないのかと。じぶんにしっくりくる世界を創造していくという営為)
人間の努力は、生きられる場所を得るという一点に向けられている。
レヴィ=ストロース
***
あるひとりの女性の周囲で多くの男たちが死んでいっているニュース。キャスターがこの事件を報道する際に、その女性は「女」と呼ばれる。
特に女性キャスターが「女が」と呼称する際の、ある種の犯罪者への報復感が言葉の、特に発話された時に感じられる。いまのところ被害者に名前があるが加害者にはまだなく、「女が」と呼ばれ続けているのも興味深い。その一方で皇室報道では「さま」とつけられる。そういったシステムの中に、とりあえず僕は生きてるみたいになっているようだ。
この蟷螂の写真は地となっているコンクリのひびが好きだったりしている。
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