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2009.10.26
存在と時間

高速道路の無料化のせいで、大分-東京を結んだ特急富士に続いて、片道7000円の大分-大阪を結ぶダイアモンドフェリーもなくなってしまうかも。すし詰めで寝かせる人権無視の前近代的な二等席が好きだったのに。ひとりで乗船すると、こんな寂しい乗り物もない。昭和的なるもの。日本はサービスが過剰すぎる。きめこまやかと言ってしまえばそれまでだけど。
仕事で市営団地の各家庭を訪問する。どの家庭も数十年そこに住みついている人たちばかりで部屋という部屋にそこにながれた時間の澱というか、厚みを感じてしまう。当たり前だけど、その住戸はその人が住む以外にないものになっている。壁の染み、匂い、空気感、明暗、音の強弱…どれをとってもその家固有のなにかをいかんなく表現している。韓流のポスターで囲まれている部屋もあれば、ジャイアンツのグッズ、釣り道具、Hビデオ、子供のかいた絵で囲まれている部屋もある。そして各人それぞれに物語がある。同じ間取りに皆住んでいる団地を横断的に見ていくから、余計に各戸の差異が際立つ。妻に先立たれ身寄りもないおじさんは、内緒でネコを飼っている。こんな太ったネコは初めて見た。顔が人間っぽかった。なんとなく。おじさんはネコと対等に会話をしていた。もう死ぬ運命だったそのネコを20万出して蘇生させた話など聞く。だれもが皆、語りたい話をもっている。驚いたのは10年くらい動かさなかったテレビはその台となっている家具と完全に同化してしまっていて、テレビを持ち上げようとしたら家具もくっついて持ち上がったこと。まだ売れてなかった頃の芸人FUJIWARAの藤本が罰ゲームかなにかでバスでアメリカを何週間もかけて横断するはめになって、はじめは元気だったのだが、日がたつにつれ疲労困憊してしまい、バスに座りっぱなしで完全にバスの椅子と同化してしまって生気を失い、椅子から立てなかったシーンを思い出した。
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