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sanpo michi


仕事である幼稚園へ行く。先生が児童に丁寧に丁寧に言葉を噛みしめて言い聞かせていた光景を見る。おそらくこの児童はこのように先生が真摯に向き合ってくれていた事実を忘れてしまうことだろう。でもだからと言って、この先生の真摯な態度が無駄というわけではなかろう。そういうことと映画「ニンゲン合格」で豊が昏睡状態の時に自分の誕生日を祝われたことを記憶していると語ったことは、どこかつながっているような気がした。記憶のある、なしは大きな差異のようで、さほど大きくないのではなかろうか。

人間の認識の限界。
人は「ない」ことを認識しやすい。自分はお金がないとか、才能がないとか、希望がないとか。でも「ある」ことは普通のこととなって、認識の外となってしまう。足があること。屋根があること。空気があること。どういうわけだか「ある」ことはスルーされてしまう。「ある」ことの凄さに目を見張りたい。

僕が中学高校の頃と決定的に変わった風景は携帯電話の携帯所持だと思うけど、もうひとつはメガネがみんなお洒落になっていることで、僕の時代はメガネは負というかすごくかっこ悪くて、恥ずかしいものだったけど、いまは小学生からおっさんまでみんなメガネがお洒落というか派手で、おそらく安価でメガネがつくれるのだろうけど、お洒落じゃないメガネが逆に目立ったりして、世の移りを感じる。メガネをお洒落にすれば儲かるというのはやられてみれば当然なんだけど、それまでは誰も気づかなかったことというかできなかったことで、世の中にはこういう、やられてみてはじめて開かれていく世界というのがある。それが世界の法則だと思う。将棋の世界とか端的にそれが現れるのでおもしろい。芸術も同じ。発見していく責任がある。




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